円仁誕生の地では、平安時代の高僧・慈覚大師円仁が誕生した場所にまつわる諸説、論争について述べる。 円仁は794年(延暦13年)、豪族壬生氏の子として生まれた。兄の秋主からは儒学を勧められるも早くから仏教に心を寄せ、9歳で小野寺山大慈寺の広智、のち15歳で比叡山延暦寺の最澄に師事した。遣唐使として唐に留学、『入唐求法巡礼行記』を記し、帰国後は山門派の祖となった。 『日本三代実録』、『元亨釈書』、『本朝高僧伝』等、円仁の出生地については「下野国都賀郡」とのみ記した史書が多く、都賀郡のどこであるかについて混乱が起きた。近世以降、主に次の2説の間で論争がある。 * 旧 上ノ原/野州荒町 現在の下都賀郡壬生町大師町、紫雲山壬生寺とする説(以下「」) * 三毳山東麓、現在の栃木市岩舟町下津原(旧安蘇郡下津原村→下都賀郡岩舟町大字下津原)手洗窪、高岡山高平寺別院誕生寺とする説(以下「」) 上の2箇所双方には、円仁が生まれた際に上空に紫の雲がたなびき、広智がそれを見たという言い伝えがある。また、円仁が産湯を使ったと称する井戸がそれぞれ現在も残っている。