内藤 泰子(ないとう やすこ、1932年 - 1982年8月30日)は、日本人女性。カンボジア人外交官と国際結婚してカンボジアに移住したが、1975年に始まるクメール・ルージュ(ポル・ポト派)支配下で、家族をすべて失う過酷な状況を生き抜き、クメール・ルージュ政権崩壊後の1979年に日本に帰国した。クメール・ルージュ政権支配下から生還した数少ない日本人として、マスコミで報道された人物である。