八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼(酒呑童子)の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆるであり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。 昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人が組織され、資料の収集保全が進められている。平成22年(2010年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定された。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせている。

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  • 八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼(酒呑童子)の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆるであり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。 昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人が組織され、資料の収集保全が進められている。平成22年(2010年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定された。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせている。 (ja)
  • 八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼(酒呑童子)の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆるであり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。 昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人が組織され、資料の収集保全が進められている。平成22年(2010年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定された。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせている。 (ja)
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  • 八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼(酒呑童子)の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆるであり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。 昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人が組織され、資料の収集保全が進められている。平成22年(2010年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定された。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせている。 (ja)
  • 八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼(酒呑童子)の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆるであり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。 昭和3年(1928年)、八瀬童子の伝統を守るため関係者によって社団法人が組織され、資料の収集保全が進められている。平成22年(2010年)には同会所有の資料741点(文書・記録類 650点、装束類 91点)が重要文化財に指定された。 また、葵祭には輿丁の扮装で参加し、天皇の輿丁として奉仕した往時の姿をしのばせている。 (ja)
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  • 八瀬童子 (ja)
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