全渓大院君(ぜんけいだいいんくん、チョンゲデウォングン、전계대원군、乾隆50年3月21日(1785年4月29日) - 道光21年11月2日(1841年12月14日))は、恩彦君(思悼世子の庶長子)の七男そして庶子で、李氏朝鮮第25代国王哲宗の実父。名は㼅(グァン、광)、初名は快得(쾌득)・海東(해동)。字は昌康(창강)。生前彼は王族として扱われなかった。彼の爵号は三男の哲宗が即位した後に追叙されたものである。