信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年(大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の(しみずりんも) が1917年(大正6年)に国を相手取り、訴訟を起こした損害賠償請求事件である。 この松樹は武田信玄が軍旗を立てかけたという伝承・由来のある「」と呼ばれていた老松で、省線(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。 国家賠償法成立以前の、大正年間(1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」にあたると司法によって判断され、第一審の甲府地方裁判所、第二審の東京控訴院に続いて、上告審の大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。

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  • 信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年(大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の(しみずりんも) が1917年(大正6年)に国を相手取り、訴訟を起こした損害賠償請求事件である。 この松樹は武田信玄が軍旗を立てかけたという伝承・由来のある「」と呼ばれていた老松で、省線(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。 国家賠償法成立以前の、大正年間(1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」にあたると司法によって判断され、第一審の甲府地方裁判所、第二審の東京控訴院に続いて、上告審の大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。 これは近代日本の民事裁判判決において、権利の濫用の法理が実質的に初めて採用された民事訴訟案件であり、加害者の権利行使の不法性(違法性)について重要な判断が示されるなど、その後の末川博、我妻栄、青山道夫ら、日本の法学者による「権利濫用論」研究の契機となった、日本国内の法曹界では著名な判例である。 (ja)
  • 信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年(大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の(しみずりんも) が1917年(大正6年)に国を相手取り、訴訟を起こした損害賠償請求事件である。 この松樹は武田信玄が軍旗を立てかけたという伝承・由来のある「」と呼ばれていた老松で、省線(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。 国家賠償法成立以前の、大正年間(1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」にあたると司法によって判断され、第一審の甲府地方裁判所、第二審の東京控訴院に続いて、上告審の大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。 これは近代日本の民事裁判判決において、権利の濫用の法理が実質的に初めて採用された民事訴訟案件であり、加害者の権利行使の不法性(違法性)について重要な判断が示されるなど、その後の末川博、我妻栄、青山道夫ら、日本の法学者による「権利濫用論」研究の契機となった、日本国内の法曹界では著名な判例である。 (ja)
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  • 日野春駅付近の空中写真(1976年撮影)。 (ja)
  • 七里岩台地先端部付近の空中写真(1976年撮影)。画像右下の市街地が韮崎、ここから中央本線は七里岩台地の急勾配を登っていく。 (ja)
  • 西を釜無川、東を塩川支流の鳩川に挟まれた台地上(尾根上)に信玄公旗掛松があり、その尾根上に中央本線と日野春駅が設置されたことが分かる。 (ja)
  • 信玄公旗掛松の生育していた位置 (ja)
  • 左の画像の延長線上にあたる範囲。 (ja)
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  • この記事は以下のカテゴリでも参照できます (ja)
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  • The aerial photo around Hinoharu Station.jpg (ja)
  • Shichiri rock plateau Chuo Line, listed version Aerial photograph.jpg (ja)
  • The aerial photo around Hinoharu Station.jpg (ja)
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  • 信玄公旗掛松 (ja)
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  • 信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年(大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の(しみずりんも) が1917年(大正6年)に国を相手取り、訴訟を起こした損害賠償請求事件である。 この松樹は武田信玄が軍旗を立てかけたという伝承・由来のある「」と呼ばれていた老松で、省線(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。 国家賠償法成立以前の、大正年間(1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」にあたると司法によって判断され、第一審の甲府地方裁判所、第二審の東京控訴院に続いて、上告審の大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。 (ja)
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