『伝習録』(旧字:傳習録、でんしゅうろく)は、中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。 最初にできたのは、徐愛の筆録した上巻の初頭の十四条のみであって、それに伝習録の名がつけられた。伝習とは、論語の「伝不習乎」からとった。この原本に陸澄と薛侃の筆録を加えて、明の正徳13年(1518)陽明47歳の時刊行したものが今の上巻である。中巻は、嘉靖3年(1524)陽明53歳の時、南元善が伝習録下巻として前書に合わせて刊行したものであり、下巻は、陽明の没後28年を経た嘉靖35年(1556)に銭徳洪が、前2書に洩れた語録の集に手を入れて刊行したものである。このため、上巻には40歳前後の語が多く、中・下巻は50歳以後晩年のものが主となっている。陽明の思想は50歳位が以外に大成したから、もしその精髄をまず知ろうとするなら、下・中巻から読み始めるのが便利であり、思想発展の順序を見ようとするなら、巻を追って行くのがよいといわれる。 日本には、1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛が傾倒し、日本思想史においても多大な影響を与えた。注釈・訳注書が多数ある。

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  • 『伝習録』(旧字:傳習録、でんしゅうろく)は、中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。 最初にできたのは、徐愛の筆録した上巻の初頭の十四条のみであって、それに伝習録の名がつけられた。伝習とは、論語の「伝不習乎」からとった。この原本に陸澄と薛侃の筆録を加えて、明の正徳13年(1518)陽明47歳の時刊行したものが今の上巻である。中巻は、嘉靖3年(1524)陽明53歳の時、南元善が伝習録下巻として前書に合わせて刊行したものであり、下巻は、陽明の没後28年を経た嘉靖35年(1556)に銭徳洪が、前2書に洩れた語録の集に手を入れて刊行したものである。このため、上巻には40歳前後の語が多く、中・下巻は50歳以後晩年のものが主となっている。陽明の思想は50歳位が以外に大成したから、もしその精髄をまず知ろうとするなら、下・中巻から読み始めるのが便利であり、思想発展の順序を見ようとするなら、巻を追って行くのがよいといわれる。 日本には、1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛が傾倒し、日本思想史においても多大な影響を与えた。注釈・訳注書が多数ある。 江戸時代を通じ、各地の儒学塾で講義された。豊後日田広瀬淡窓の咸宜園では、朱子学の『近思録』とともに、学業最後のテキストに用いられた。 (ja)
  • 『伝習録』(旧字:傳習録、でんしゅうろく)は、中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。 最初にできたのは、徐愛の筆録した上巻の初頭の十四条のみであって、それに伝習録の名がつけられた。伝習とは、論語の「伝不習乎」からとった。この原本に陸澄と薛侃の筆録を加えて、明の正徳13年(1518)陽明47歳の時刊行したものが今の上巻である。中巻は、嘉靖3年(1524)陽明53歳の時、南元善が伝習録下巻として前書に合わせて刊行したものであり、下巻は、陽明の没後28年を経た嘉靖35年(1556)に銭徳洪が、前2書に洩れた語録の集に手を入れて刊行したものである。このため、上巻には40歳前後の語が多く、中・下巻は50歳以後晩年のものが主となっている。陽明の思想は50歳位が以外に大成したから、もしその精髄をまず知ろうとするなら、下・中巻から読み始めるのが便利であり、思想発展の順序を見ようとするなら、巻を追って行くのがよいといわれる。 日本には、1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛が傾倒し、日本思想史においても多大な影響を与えた。注釈・訳注書が多数ある。 江戸時代を通じ、各地の儒学塾で講義された。豊後日田広瀬淡窓の咸宜園では、朱子学の『近思録』とともに、学業最後のテキストに用いられた。 (ja)
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  • 『伝習録』(旧字:傳習録、でんしゅうろく)は、中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。 最初にできたのは、徐愛の筆録した上巻の初頭の十四条のみであって、それに伝習録の名がつけられた。伝習とは、論語の「伝不習乎」からとった。この原本に陸澄と薛侃の筆録を加えて、明の正徳13年(1518)陽明47歳の時刊行したものが今の上巻である。中巻は、嘉靖3年(1524)陽明53歳の時、南元善が伝習録下巻として前書に合わせて刊行したものであり、下巻は、陽明の没後28年を経た嘉靖35年(1556)に銭徳洪が、前2書に洩れた語録の集に手を入れて刊行したものである。このため、上巻には40歳前後の語が多く、中・下巻は50歳以後晩年のものが主となっている。陽明の思想は50歳位が以外に大成したから、もしその精髄をまず知ろうとするなら、下・中巻から読み始めるのが便利であり、思想発展の順序を見ようとするなら、巻を追って行くのがよいといわれる。 日本には、1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛が傾倒し、日本思想史においても多大な影響を与えた。注釈・訳注書が多数ある。 (ja)
  • 『伝習録』(旧字:傳習録、でんしゅうろく)は、中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。 最初にできたのは、徐愛の筆録した上巻の初頭の十四条のみであって、それに伝習録の名がつけられた。伝習とは、論語の「伝不習乎」からとった。この原本に陸澄と薛侃の筆録を加えて、明の正徳13年(1518)陽明47歳の時刊行したものが今の上巻である。中巻は、嘉靖3年(1524)陽明53歳の時、南元善が伝習録下巻として前書に合わせて刊行したものであり、下巻は、陽明の没後28年を経た嘉靖35年(1556)に銭徳洪が、前2書に洩れた語録の集に手を入れて刊行したものである。このため、上巻には40歳前後の語が多く、中・下巻は50歳以後晩年のものが主となっている。陽明の思想は50歳位が以外に大成したから、もしその精髄をまず知ろうとするなら、下・中巻から読み始めるのが便利であり、思想発展の順序を見ようとするなら、巻を追って行くのがよいといわれる。 日本には、1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛が傾倒し、日本思想史においても多大な影響を与えた。注釈・訳注書が多数ある。 (ja)
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  • 伝習録 (ja)
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