伊達 保子(だて やすこ、1827年8月1日(文政10年閏6月9日) - 1904年〈明治37年〉11月13日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての仙台藩一門の女性。11代藩主・伊達斉義の3女。亘理伊達家13代当主・伊達邦実の正室。幼名は和子、通称は佑姫(ゆうひめ)、出家後は貞操院。 亘理伊達家が北海道開拓に従事した際、城での裕福な生活を捨てて、敢えて開拓に同行して、娘婿である伊達邦成の北海道開拓を支えると共に、過酷な開拓生活を家臣たちと共にし、一同の精神的支柱になり続けた。 また、自ら養蚕業を営み、福島県伊達市の養蚕事業の基礎を作った。「開拓の母」「伊達開拓の母」とも呼ばれる。