伊賀良荘(いがらのしょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県飯田市から下伊那郡南部)にあった荘園。 天竜川左岸段丘上の笠松山麓を中心に立地し、荘域は松川以南から阿知川にかけての範囲から、漸次南方に拡大し、三河国境に至る南北十里、東西五里にわたる広大な荘園となった。阿南町の二善廃寺の応永19年(1412年)銘の棟札や瑞光院の享禄元年(1528年)の鐘銘から当荘の一部であったことがうかがえる。

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  • 伊賀良荘(いがらのしょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県飯田市から下伊那郡南部)にあった荘園。 天竜川左岸段丘上の笠松山麓を中心に立地し、荘域は松川以南から阿知川にかけての範囲から、漸次南方に拡大し、三河国境に至る南北十里、東西五里にわたる広大な荘園となった。阿南町の二善廃寺の応永19年(1412年)銘の棟札や瑞光院の享禄元年(1528年)の鐘銘から当荘の一部であったことがうかがえる。 (ja)
  • 伊賀良荘(いがらのしょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県飯田市から下伊那郡南部)にあった荘園。 天竜川左岸段丘上の笠松山麓を中心に立地し、荘域は松川以南から阿知川にかけての範囲から、漸次南方に拡大し、三河国境に至る南北十里、東西五里にわたる広大な荘園となった。阿南町の二善廃寺の応永19年(1412年)銘の棟札や瑞光院の享禄元年(1528年)の鐘銘から当荘の一部であったことがうかがえる。 (ja)
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  • 伊賀良荘(いがらのしょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県飯田市から下伊那郡南部)にあった荘園。 天竜川左岸段丘上の笠松山麓を中心に立地し、荘域は松川以南から阿知川にかけての範囲から、漸次南方に拡大し、三河国境に至る南北十里、東西五里にわたる広大な荘園となった。阿南町の二善廃寺の応永19年(1412年)銘の棟札や瑞光院の享禄元年(1528年)の鐘銘から当荘の一部であったことがうかがえる。 (ja)
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  • 伊賀良荘 (ja)
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