仕立屋 銀次(したてや ぎんじ、1866年5月1日〈慶応2年3月17日〉- 没年不明)は明治時代の東京のスリの親分。本名は富田銀蔵。和服の仕立て職人だったが、内妻の父親がスリの親分であったことからその跡目を継いだ。全盛期には手下のスリを約250名抱え、弁護士も数名雇うほどで、その贅沢な暮らしぶりから明治後期には日本一のスリ一味の大親分として知られていた。明治末期に逮捕され、大正時代に出所したが、昭和に入ってから再びスリを働き、再逮捕された。