井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。 8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。 慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。

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  • 井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。 8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。 慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。 (ja)
  • 井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。 8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。 慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。 (ja)
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  • 井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。 8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。 慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。 (ja)
  • 井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。 8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。 慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。 (ja)
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