井上家(いのうえけ)は江戸時代、囲碁の家元四家の一つであり、名人を2名出している。初代道碩を除き、代々当主は因碩を名乗るしきたりであった。このため「春碩因碩」「幻庵因碩」などと、(次期家元に指名された者)時代の名や隠居後の名をつけて区別することが多い。 初代名人である本因坊算砂の高弟中村道碩を祖とする。当初、玄覚因碩が一世と位置づけられていたが、幻庵因碩の時代に中村道碩を系譜に組み入れ、以降の家元を一代ずつずらす措置がとられた。歴代家元の中で最も知名度が高いのはこの十一世・幻庵因碩で、本因坊丈和と名人の地位を激しく争ったことで知られる。十四世大塚因碩以降、井上家は大阪に拠点を移した。井上家は家元四家の中では最も長続きし、十七世の津田因碩が1983年に死去して断絶した。