丸子船(まるこぶね)とは、かつて琵琶湖の水運を担った和船。琵琶湖の環境や用途に合わせて独自の発達を遂げた帆走の木造船で、同時代の輸送船を代表する沿岸海洋用の弁才船と比べると船幅は狭く喫水は極めて浅い。また、船体脇にオモギと呼ばれる丸太を半割りにしたような部材を用いる独特な構造や、ヘイタと呼ばれる短冊状に成形した板を桶のように曲面状に剝ぎ合わせた船首構造と、船首にダテカスガイと呼ばれる短冊状の銅板を貼り付ける装飾をもつことなどが特徴である。 湖上水運が最盛期を迎えた江戸時代前期から中期には琵琶湖全体で1300隻以上が浮かび、大きいもので500石積みがあった記録が残されているが、150石から180石積みが標準的な大きさであった。

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  • 丸子船(まるこぶね)とは、かつて琵琶湖の水運を担った和船。琵琶湖の環境や用途に合わせて独自の発達を遂げた帆走の木造船で、同時代の輸送船を代表する沿岸海洋用の弁才船と比べると船幅は狭く喫水は極めて浅い。また、船体脇にオモギと呼ばれる丸太を半割りにしたような部材を用いる独特な構造や、ヘイタと呼ばれる短冊状に成形した板を桶のように曲面状に剝ぎ合わせた船首構造と、船首にダテカスガイと呼ばれる短冊状の銅板を貼り付ける装飾をもつことなどが特徴である。 湖上水運が最盛期を迎えた江戸時代前期から中期には琵琶湖全体で1300隻以上が浮かび、大きいもので500石積みがあった記録が残されているが、150石から180石積みが標準的な大きさであった。 近世の史料を確認した杉江進によると、江戸時代には丸船と呼ばれることが多く、彦根藩領の丸船のみが丸子船と称されていたが、大正時代に近世の地誌『近江輿地志略』が復刻出版されて地域資料の基礎となったことから、これに記される丸子船の呼称が定着したとしている。そのほかに丸木船(まるきぶね/まるこぶね)・丸太船(まるたぶね)の名称もある。また、太平洋戦争前には規模により小丸子・中丸子・大丸子と区別する呼び名もあった。名称の由来について橋本鉄男はいわゆる丸木舟との関連性を指摘し、牧野久美と杉江は丸みを帯びた船の形状に由来すると推測し、用田政晴は船大工が「まるこう」と呼んでいた事から丸船に愛称の「公」を付けて「丸公船」と呼んでいたのが丸子船に転訛した可能性を指摘している。 (ja)
  • 丸子船(まるこぶね)とは、かつて琵琶湖の水運を担った和船。琵琶湖の環境や用途に合わせて独自の発達を遂げた帆走の木造船で、同時代の輸送船を代表する沿岸海洋用の弁才船と比べると船幅は狭く喫水は極めて浅い。また、船体脇にオモギと呼ばれる丸太を半割りにしたような部材を用いる独特な構造や、ヘイタと呼ばれる短冊状に成形した板を桶のように曲面状に剝ぎ合わせた船首構造と、船首にダテカスガイと呼ばれる短冊状の銅板を貼り付ける装飾をもつことなどが特徴である。 湖上水運が最盛期を迎えた江戸時代前期から中期には琵琶湖全体で1300隻以上が浮かび、大きいもので500石積みがあった記録が残されているが、150石から180石積みが標準的な大きさであった。 近世の史料を確認した杉江進によると、江戸時代には丸船と呼ばれることが多く、彦根藩領の丸船のみが丸子船と称されていたが、大正時代に近世の地誌『近江輿地志略』が復刻出版されて地域資料の基礎となったことから、これに記される丸子船の呼称が定着したとしている。そのほかに丸木船(まるきぶね/まるこぶね)・丸太船(まるたぶね)の名称もある。また、太平洋戦争前には規模により小丸子・中丸子・大丸子と区別する呼び名もあった。名称の由来について橋本鉄男はいわゆる丸木舟との関連性を指摘し、牧野久美と杉江は丸みを帯びた船の形状に由来すると推測し、用田政晴は船大工が「まるこう」と呼んでいた事から丸船に愛称の「公」を付けて「丸公船」と呼んでいたのが丸子船に転訛した可能性を指摘している。 (ja)
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  • 丸子船(まるこぶね)とは、かつて琵琶湖の水運を担った和船。琵琶湖の環境や用途に合わせて独自の発達を遂げた帆走の木造船で、同時代の輸送船を代表する沿岸海洋用の弁才船と比べると船幅は狭く喫水は極めて浅い。また、船体脇にオモギと呼ばれる丸太を半割りにしたような部材を用いる独特な構造や、ヘイタと呼ばれる短冊状に成形した板を桶のように曲面状に剝ぎ合わせた船首構造と、船首にダテカスガイと呼ばれる短冊状の銅板を貼り付ける装飾をもつことなどが特徴である。 湖上水運が最盛期を迎えた江戸時代前期から中期には琵琶湖全体で1300隻以上が浮かび、大きいもので500石積みがあった記録が残されているが、150石から180石積みが標準的な大きさであった。 (ja)
  • 丸子船(まるこぶね)とは、かつて琵琶湖の水運を担った和船。琵琶湖の環境や用途に合わせて独自の発達を遂げた帆走の木造船で、同時代の輸送船を代表する沿岸海洋用の弁才船と比べると船幅は狭く喫水は極めて浅い。また、船体脇にオモギと呼ばれる丸太を半割りにしたような部材を用いる独特な構造や、ヘイタと呼ばれる短冊状に成形した板を桶のように曲面状に剝ぎ合わせた船首構造と、船首にダテカスガイと呼ばれる短冊状の銅板を貼り付ける装飾をもつことなどが特徴である。 湖上水運が最盛期を迎えた江戸時代前期から中期には琵琶湖全体で1300隻以上が浮かび、大きいもので500石積みがあった記録が残されているが、150石から180石積みが標準的な大きさであった。 (ja)
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  • 丸子船 (ja)
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