中村 国香(なかむら くにか/こっこう、宝永6年12月9日(1710年1月8日) - 明和6年3月13日(1769年4月19日))は、江戸時代中期の儒者。地誌『』の編纂で知られる。 国香は号で、名は貞治・定治。字は子蘭。通称は善右衛門・勝治郎(勝治郎は幼名とも)。別号に蕙洲。 上総国夷隅郡長者町(現在の千葉県いすみ市岬町長者)生まれ。幼少より学問を好み、同地出身の儒者・宇佐美灊水の門弟となった。成人後は近隣の若者の教育にあたった。 『』(全5巻)は、彼が房総各地を訪ねて記した紀行文で、史跡や寺社を詳述し、またさまざまな伝承を採録しており、地誌として重要である。 岬町長者下宿の地蔵堂境内に墓があり、いすみ市指定文化財となっている。

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  • 中村 国香(なかむら くにか/こっこう、宝永6年12月9日(1710年1月8日) - 明和6年3月13日(1769年4月19日))は、江戸時代中期の儒者。地誌『』の編纂で知られる。 国香は号で、名は貞治・定治。字は子蘭。通称は善右衛門・勝治郎(勝治郎は幼名とも)。別号に蕙洲。 上総国夷隅郡長者町(現在の千葉県いすみ市岬町長者)生まれ。幼少より学問を好み、同地出身の儒者・宇佐美灊水の門弟となった。成人後は近隣の若者の教育にあたった。 『』(全5巻)は、彼が房総各地を訪ねて記した紀行文で、史跡や寺社を詳述し、またさまざまな伝承を採録しており、地誌として重要である。 岬町長者下宿の地蔵堂境内に墓があり、いすみ市指定文化財となっている。 (ja)
  • 中村 国香(なかむら くにか/こっこう、宝永6年12月9日(1710年1月8日) - 明和6年3月13日(1769年4月19日))は、江戸時代中期の儒者。地誌『』の編纂で知られる。 国香は号で、名は貞治・定治。字は子蘭。通称は善右衛門・勝治郎(勝治郎は幼名とも)。別号に蕙洲。 上総国夷隅郡長者町(現在の千葉県いすみ市岬町長者)生まれ。幼少より学問を好み、同地出身の儒者・宇佐美灊水の門弟となった。成人後は近隣の若者の教育にあたった。 『』(全5巻)は、彼が房総各地を訪ねて記した紀行文で、史跡や寺社を詳述し、またさまざまな伝承を採録しており、地誌として重要である。 岬町長者下宿の地蔵堂境内に墓があり、いすみ市指定文化財となっている。 (ja)
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  • 中村 国香(なかむら くにか/こっこう、宝永6年12月9日(1710年1月8日) - 明和6年3月13日(1769年4月19日))は、江戸時代中期の儒者。地誌『』の編纂で知られる。 国香は号で、名は貞治・定治。字は子蘭。通称は善右衛門・勝治郎(勝治郎は幼名とも)。別号に蕙洲。 上総国夷隅郡長者町(現在の千葉県いすみ市岬町長者)生まれ。幼少より学問を好み、同地出身の儒者・宇佐美灊水の門弟となった。成人後は近隣の若者の教育にあたった。 『』(全5巻)は、彼が房総各地を訪ねて記した紀行文で、史跡や寺社を詳述し、またさまざまな伝承を採録しており、地誌として重要である。 岬町長者下宿の地蔵堂境内に墓があり、いすみ市指定文化財となっている。 (ja)
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  • 中村国香 (ja)
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