中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 、、に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。のねっとりとした土味に、で現れる深い緋色は「中村家の緋色」と言われ、愛好家が多い。文豪井伏鱒二は亡くなる前に、ベッドの中で六郎の徳利をまさぐっていたという。また、歌人の杉鮫太郎や、詩人の安東次男らと交流があり、六郎の経歴書に紹介文を書いている。特に安東次男は窯出しの度に来訪し、窯傷の入ったものばかりを欲しがり、六郎を困らせたという話が残されている。「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名をもつ。 長男の中村真、孫の中村和樹も陶芸家である。

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  • 中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 、、に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。のねっとりとした土味に、で現れる深い緋色は「中村家の緋色」と言われ、愛好家が多い。文豪井伏鱒二は亡くなる前に、ベッドの中で六郎の徳利をまさぐっていたという。また、歌人の杉鮫太郎や、詩人の安東次男らと交流があり、六郎の経歴書に紹介文を書いている。特に安東次男は窯出しの度に来訪し、窯傷の入ったものばかりを欲しがり、六郎を困らせたという話が残されている。「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名をもつ。 長男の中村真、孫の中村和樹も陶芸家である。 (ja)
  • 中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 、、に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。のねっとりとした土味に、で現れる深い緋色は「中村家の緋色」と言われ、愛好家が多い。文豪井伏鱒二は亡くなる前に、ベッドの中で六郎の徳利をまさぐっていたという。また、歌人の杉鮫太郎や、詩人の安東次男らと交流があり、六郎の経歴書に紹介文を書いている。特に安東次男は窯出しの度に来訪し、窯傷の入ったものばかりを欲しがり、六郎を困らせたという話が残されている。「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名をもつ。 長男の中村真、孫の中村和樹も陶芸家である。 (ja)
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  • 中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 、、に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。のねっとりとした土味に、で現れる深い緋色は「中村家の緋色」と言われ、愛好家が多い。文豪井伏鱒二は亡くなる前に、ベッドの中で六郎の徳利をまさぐっていたという。また、歌人の杉鮫太郎や、詩人の安東次男らと交流があり、六郎の経歴書に紹介文を書いている。特に安東次男は窯出しの度に来訪し、窯傷の入ったものばかりを欲しがり、六郎を困らせたという話が残されている。「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名をもつ。 長男の中村真、孫の中村和樹も陶芸家である。 (ja)
  • 中村 六郎(なかむら ろくろう、1914年2月4日 - 2004年4月11日)は岡山県備前市伊部生まれの陶芸家。愛称は「六さん」 、、に所属した。 父親が金重陶陽らの作家たちと親しく、その影響で陶芸家を志す。終戦までは会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積む。また、北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び影響を受けたと言われている。 1961年に六郎窯を築いて独立する。1986年には伝統工芸士に認定される。 ろくろでは徳利などの酒器を好んで製作。たたらでは泡瓶、急須、茶碗なども手がける。朴訥で野性味あふれる作風。のねっとりとした土味に、で現れる深い緋色は「中村家の緋色」と言われ、愛好家が多い。文豪井伏鱒二は亡くなる前に、ベッドの中で六郎の徳利をまさぐっていたという。また、歌人の杉鮫太郎や、詩人の安東次男らと交流があり、六郎の経歴書に紹介文を書いている。特に安東次男は窯出しの度に来訪し、窯傷の入ったものばかりを欲しがり、六郎を困らせたという話が残されている。「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名をもつ。 長男の中村真、孫の中村和樹も陶芸家である。 (ja)
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  • 中村六郎 (ja)
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