三島 弥彦(みしま やひこ、1886年(明治19年)2月23日 - 1954年(昭和29年)2月1日)は、明治期の陸上選手、銀行家。日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックにマラソンの金栗四三と共に参加した。名前は彌彦とも書かれる。父は警視総監の三島通庸、兄に銀行家の三島彌太郎、甥に三島通陽がいる。妻は鍋島直柔の五女・文子。