一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代の武将、守護大名。 永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代の下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われると争う。義清は加悦城主と、一色九郎は守護代と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。 義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。 また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。

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  • 一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代の武将、守護大名。 永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代の下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われると争う。義清は加悦城主と、一色九郎は守護代と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。 義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。 また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。 (ja)
  • 一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代の武将、守護大名。 永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代の下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われると争う。義清は加悦城主と、一色九郎は守護代と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。 義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。 また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。 (ja)
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  • 一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代の武将、守護大名。 永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代の下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われると争う。義清は加悦城主と、一色九郎は守護代と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。 義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。 また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。 (ja)
  • 一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代の武将、守護大名。 永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代の下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われると争う。義清は加悦城主と、一色九郎は守護代と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。 義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。 また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。 (ja)
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  • 一色義清 (左京大夫) (ja)
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