ローマ・ウォルスキ戦争は共和政ローマとイタリア中部に居住していたウンブリア系イタリック人であるウォルスキ族の間の一連の戦争である。ウォルスキ族はもともとラティウムの南側に居住していたが、やがてラティウム南部に移住を行い、先住民であるラテン人と摩擦を起こした。結果、ラティウムの指導的立場の都市国家であったローマと衝突することとなった。当初はローマに対して攻勢もとったが、紀元前5世紀の終わり頃までには、ウォルスキは防御的な行動を行うのみとなり、サムニウム戦争が終わる頃までにはローマに統合された。古代の歴史家は共和政ローマ初期の歴史において、ウォルスキに関してかなりのページを割いているが、現代の歴史家はこれらの記述の歴史的正確性に関しては疑問を呈している。