ローマ・アエクイ戦争(ローマ・アエクイせんそう)は、古代ローマ初期の拡大期における、東隣のアエクイ族とのイタリア中央部での一連の戦争である。 ティトゥス・リウィウスによると、王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスがアエクイと平和条約を結んだという。 アエクイ族はローマと、紀元前458年のアルギドゥス山の戦い(en)を含む、何度かの戦いを経験している。その中心部は紀元前484年にローマに占領され、またそれから90年後にも再占領されている。 紀元前5世紀の後半になると、ローマとアエクイ族の戦いの記録は減ってくる。この頃にはローマとアエクイ族の関係はより安定したものとなり、結果として襲撃の頻度も減ってきたのであろう。 アエクイ族は第二次サムニウム戦争が終わるまで、征服されることはなかった。