ミンスク2(英語: Minsk II)とは、2015年2月11日にベラルーシのミンスクで調印された、東部ウクライナにおける紛争(ドンバス戦争)の停戦を意図した協定である。 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。2014年9月5日に調印されたミンスク議定書による停戦を復活させることを目的としている。 しかし、親ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれたこの合意は、ウクライナ国内で不満も出ていたことから、2019年に大統領になり、当初融和派だったウォロディミル・ゼレンスキーも翻意して履行せず、反故に動いた。一方、親露派とロシア側も、合意で定められた「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守ってこなかった。 2015年2月15日の東部標準時0:00に停戦が発動された後、分離派はデバルツェボに対する激しい攻撃を継続させた。ロイターは停戦をデバルツェボにおける「死産」と表現している。

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  • ミンスク2(英語: Minsk II)とは、2015年2月11日にベラルーシのミンスクで調印された、東部ウクライナにおける紛争(ドンバス戦争)の停戦を意図した協定である。 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。2014年9月5日に調印されたミンスク議定書による停戦を復活させることを目的としている。 しかし、親ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれたこの合意は、ウクライナ国内で不満も出ていたことから、2019年に大統領になり、当初融和派だったウォロディミル・ゼレンスキーも翻意して履行せず、反故に動いた。一方、親露派とロシア側も、合意で定められた「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守ってこなかった。 2015年2月15日の東部標準時0:00に停戦が発動された後、分離派はデバルツェボに対する激しい攻撃を継続させた。ロイターは停戦をデバルツェボにおける「死産」と表現している。 2021年10月26日、ウクライナ政府軍は親露派との紛争地域で親露派武装勢力にドローン攻撃を実施した。ドローンによる攻撃は、ミンスク2から強化された2020年7月の協定で禁止された違反行為であったため、ロシアからの批判だけでなく、欧米諸国からも異を唱えられた。その禁止行為はロシア軍が行動に移すための口実となった。 緊張は高まり続け、2022年2月10日にロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの参加国外相はドイツの首都ベルリンでミンスク合意などをめぐり高官協議を開くも、ロシアは完全履行を、ウクライナは項目の修正などを求め、合意に至らなかった。21日にロシアのプーチン大統領が「(履行されないのであればミンスク合意は)もはや存在していない」として、合意の破棄を明言した。24日にはウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認し、ロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が開始された。 (ja)
  • ミンスク2(英語: Minsk II)とは、2015年2月11日にベラルーシのミンスクで調印された、東部ウクライナにおける紛争(ドンバス戦争)の停戦を意図した協定である。 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。2014年9月5日に調印されたミンスク議定書による停戦を復活させることを目的としている。 しかし、親ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれたこの合意は、ウクライナ国内で不満も出ていたことから、2019年に大統領になり、当初融和派だったウォロディミル・ゼレンスキーも翻意して履行せず、反故に動いた。一方、親露派とロシア側も、合意で定められた「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守ってこなかった。 2015年2月15日の東部標準時0:00に停戦が発動された後、分離派はデバルツェボに対する激しい攻撃を継続させた。ロイターは停戦をデバルツェボにおける「死産」と表現している。 2021年10月26日、ウクライナ政府軍は親露派との紛争地域で親露派武装勢力にドローン攻撃を実施した。ドローンによる攻撃は、ミンスク2から強化された2020年7月の協定で禁止された違反行為であったため、ロシアからの批判だけでなく、欧米諸国からも異を唱えられた。その禁止行為はロシア軍が行動に移すための口実となった。 緊張は高まり続け、2022年2月10日にロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの参加国外相はドイツの首都ベルリンでミンスク合意などをめぐり高官協議を開くも、ロシアは完全履行を、ウクライナは項目の修正などを求め、合意に至らなかった。21日にロシアのプーチン大統領が「(履行されないのであればミンスク合意は)もはや存在していない」として、合意の破棄を明言した。24日にはウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認し、ロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が開始された。 (ja)
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  • ミンスク2(英語: Minsk II)とは、2015年2月11日にベラルーシのミンスクで調印された、東部ウクライナにおける紛争(ドンバス戦争)の停戦を意図した協定である。 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。2014年9月5日に調印されたミンスク議定書による停戦を復活させることを目的としている。 しかし、親ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれたこの合意は、ウクライナ国内で不満も出ていたことから、2019年に大統領になり、当初融和派だったウォロディミル・ゼレンスキーも翻意して履行せず、反故に動いた。一方、親露派とロシア側も、合意で定められた「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守ってこなかった。 2015年2月15日の東部標準時0:00に停戦が発動された後、分離派はデバルツェボに対する激しい攻撃を継続させた。ロイターは停戦をデバルツェボにおける「死産」と表現している。 (ja)
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