ミセヌム条約またはミセヌムの和約 (ラテン語: Pax Misenensis) は、紀元前39年、第二回三頭政治期のシチリア反乱の際、イタリア半島の海上封鎖を解くために結ばれた条約(協定)。反乱の指導者セクストゥス・ポンペイウスと三頭政治官、特にマルクス・アントニウスとオクタウィアヌスの間で取り決められた。三頭政治派たちはセクストゥス・ポンペイウスにこれまで通りシチリアとサルデーニャの支配を認めるだけでなく、コルシカやペロポネソス半島まで与えた。 また彼らは、将来の紀元前33年にセクストゥス・ポンペイウスを執政官とすることを約束した。その代わり、ポンペイウスは海賊行為を止めてイタリア封鎖を解き、ローマに穀物を供給することになった。 しかしこの条約は、アントニウスがアカイアの支配権を譲り渡すのを拒否したため反故にされた。ポンペイウスは再びローマに敵対するようになったが、紀元前36年のナウロクス沖の海戦でマルクス・ウィプサニウス・アグリッパに敗れ、滅ぼされた。
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