デイトン・バー・"ボーンズ"・ハウ(Dayton Burr "Bones" Howe、1933年3月18日 - )は、グラミー賞を受賞したこともある音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアで、おもに1960年代から1970年代にかけて、フィフス・ディメンションやアソシエイションのヒットの大部分など、サンシャイン・ポップ (sunshine pop) のジャンルを中心にヒット曲を手がけ、また、何本もの映画の音楽監修を務めた。ハウは、ヒット曲においてプロデューサーとエンジニアの両方を務めた、音楽業界において最も初期の人物のひとりである。さらに、ハウはレコーディングの際に「デイトン・ハウ (Dayton Howe)」名義で、ミュージシャンとしてクレジットされることもあった。