ボーローポイント、あるいはボロー・ポイント(英語: Bolo point、ボーロー飛行場、ボロー飛行場)は、第二次世界大戦中に沖縄本島西海岸、東シナ海に面した読谷村に建設されたアメリカ軍の基地。 第二次世界大戦の終結後、1946年には飛行場としての機能は無くなり、アメリカ陸軍が管理するボーローポイント射撃場 (ボロー・ポイント射撃場) の名称で射撃場に、また瀬名波通信施設 (せなはつうしんしせつ) の名称で米国中央情報局 (CIA) の外国放送情報局 (FBIS) の通信施設として使われた。また核ミサイルのナイキ・ハーキュリーズやメースBの発射基地となっていた。 1977年までにその大部分が返還され、現在は農地やリゾートホテル、アミューズメント施設などが立ち並ぶ風光明媚な観光地となっている。