ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日 - 1938年12月24日)は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。鉄の記念塔(1913年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。 1933年、ナチスの迫害から逃れるため海外に滞在先を探していた際に、前年にあった上野伊三郎率いる日本インターナショナル建築会からの招聘を受け入れ、1933年に来日し3年半滞在した。日本では建築設計の仕事を得られなかったことから、トルコ政府の招きにより転地し、1938年に当地で没した。