フィデナエ(Fidenae)はラティウム北端、ローマの北方8キロメートルに位置するエトルリア人古代都市で、後にローマの都市となった。ローマからティベリス川に沿って走るサラリア街道上にある。ティベリス川はラティウムとエトルリアの国境となされていたが、フィデナエがその左岸のラティウム側に建設されていることは、エトルリアのラティウムへの拡張を示している。ローマ以前の城壁都市は、現在はローマ市内となっているヴィラ・スパダ(it)の丘の上にあったと想定されるが、建物や城壁の痕跡も見ることは出来ない。ローマ以前の墓地が街の北側にある。ローマ時代の街は丘の東の麓にあり、フィデナエ元老院からマルクス・アウレリウス帝への奉献碑文がある集会所(クリア)が1889年に発掘されている。ローマ時代の建物の遺跡も見ることが出来る。