ティソン・デツェン(チベット語:ཁྲི་སྲོང་ལྡེ་བཙན、ワイリー転写:Khri srong lde brtsan、 742年 - 797年/98年)は、 古代チベット王朝である吐蕃の王(在位:755年/56年 - 797年/98年)。37代国王ティデ・ツグツェンを父に持ち、ナナム氏族のマンポジェシティンを母とする。 唐で起きた安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し、西域に駐屯する唐軍の弱体化に乗じて勢力を拡大した。ティソン・デツェンの在位中にチベットの支配領域は最大に達する。後世には、軍事的功績と神話的な要素が入り混じったティソン・デツェンの伝承が作り出された。 また、ティソン・デツェンの時代にチベットの仏教文化は顕著な発展を見せる。ティソン・デツェンはサムイェー寺の大伽藍を建立し、779年に仏教を国教に制定した。後世の人間はティソン・デツェンをソンツェン・ガンポ、ティツク・デツェン(レルパツェン)と並ぶ仏教王の一人に数えた。