セルビア十字(セルビアじゅうじ、セルビア語: Српски Крст / Srpski Krst)は、十字の一種である。セルビアの国家と国民の象徴とされる。中央に十字があり、その十字で区切られた四方に外側を向いたC字型の文様が配されている。 4つのシンボルに挟まれた十字というモチーフは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世のラバルムに由来し、東ローマ帝国の硬貨にも描かれた。6世紀ころから、この4つのシンボルは火打鉄と解釈されるようになったが、同時にパレオロゴス王朝の皇帝のモットーである「βασιλεύς βασιλέων, βασιλεύων βασιλευόντων」(王たちの上に君臨する、王の中の王)の頭文字であるギリシャ文字の「β」とも解釈されるようになった。 この十字は中世以降、東ローマの影響下にあったセルビアにも取り入れられ、セルビア国家およびセルビア正教会の象徴となった。そのきっかけになったのは、1345年4月16日にステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」を称し、翌年にはセルビア帝国皇帝に即位して以来のことである。

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  • セルビア十字(セルビアじゅうじ、セルビア語: Српски Крст / Srpski Krst)は、十字の一種である。セルビアの国家と国民の象徴とされる。中央に十字があり、その十字で区切られた四方に外側を向いたC字型の文様が配されている。 4つのシンボルに挟まれた十字というモチーフは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世のラバルムに由来し、東ローマ帝国の硬貨にも描かれた。6世紀ころから、この4つのシンボルは火打鉄と解釈されるようになったが、同時にパレオロゴス王朝の皇帝のモットーである「βασιλεύς βασιλέων, βασιλεύων βασιλευόντων」(王たちの上に君臨する、王の中の王)の頭文字であるギリシャ文字の「β」とも解釈されるようになった。 この十字は中世以降、東ローマの影響下にあったセルビアにも取り入れられ、セルビア国家およびセルビア正教会の象徴となった。そのきっかけになったのは、1345年4月16日にステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」を称し、翌年にはセルビア帝国皇帝に即位して以来のことである。 今日ではセルビア十字はセルビアの国とセルビア人の、国家的・宗教的・民族的象徴となっている。近代になって、十字の周りにある4つのシンボルはキリル文字の「С」の字だと解釈される。また4つのCは、よく知られたセルビア語の語句で、セルビアの国家の非公式のモットーでもある「Само Слога Србина Спасава」(団結のみがセルビア人を救う)、あるいはСвети Сава - Српска Слава」(聖サヴァ、セルビアの守護聖人)の頭文字であるとされる。セルビアの国章にもこの十字は使われている。 (ja)
  • セルビア十字(セルビアじゅうじ、セルビア語: Српски Крст / Srpski Krst)は、十字の一種である。セルビアの国家と国民の象徴とされる。中央に十字があり、その十字で区切られた四方に外側を向いたC字型の文様が配されている。 4つのシンボルに挟まれた十字というモチーフは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世のラバルムに由来し、東ローマ帝国の硬貨にも描かれた。6世紀ころから、この4つのシンボルは火打鉄と解釈されるようになったが、同時にパレオロゴス王朝の皇帝のモットーである「βασιλεύς βασιλέων, βασιλεύων βασιλευόντων」(王たちの上に君臨する、王の中の王)の頭文字であるギリシャ文字の「β」とも解釈されるようになった。 この十字は中世以降、東ローマの影響下にあったセルビアにも取り入れられ、セルビア国家およびセルビア正教会の象徴となった。そのきっかけになったのは、1345年4月16日にステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」を称し、翌年にはセルビア帝国皇帝に即位して以来のことである。 今日ではセルビア十字はセルビアの国とセルビア人の、国家的・宗教的・民族的象徴となっている。近代になって、十字の周りにある4つのシンボルはキリル文字の「С」の字だと解釈される。また4つのCは、よく知られたセルビア語の語句で、セルビアの国家の非公式のモットーでもある「Само Слога Србина Спасава」(団結のみがセルビア人を救う)、あるいはСвети Сава - Српска Слава」(聖サヴァ、セルビアの守護聖人)の頭文字であるとされる。セルビアの国章にもこの十字は使われている。 (ja)
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  • セルビア十字(セルビアじゅうじ、セルビア語: Српски Крст / Srpski Krst)は、十字の一種である。セルビアの国家と国民の象徴とされる。中央に十字があり、その十字で区切られた四方に外側を向いたC字型の文様が配されている。 4つのシンボルに挟まれた十字というモチーフは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世のラバルムに由来し、東ローマ帝国の硬貨にも描かれた。6世紀ころから、この4つのシンボルは火打鉄と解釈されるようになったが、同時にパレオロゴス王朝の皇帝のモットーである「βασιλεύς βασιλέων, βασιλεύων βασιλευόντων」(王たちの上に君臨する、王の中の王)の頭文字であるギリシャ文字の「β」とも解釈されるようになった。 この十字は中世以降、東ローマの影響下にあったセルビアにも取り入れられ、セルビア国家およびセルビア正教会の象徴となった。そのきっかけになったのは、1345年4月16日にステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」を称し、翌年にはセルビア帝国皇帝に即位して以来のことである。 (ja)
  • セルビア十字(セルビアじゅうじ、セルビア語: Српски Крст / Srpski Krst)は、十字の一種である。セルビアの国家と国民の象徴とされる。中央に十字があり、その十字で区切られた四方に外側を向いたC字型の文様が配されている。 4つのシンボルに挟まれた十字というモチーフは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世のラバルムに由来し、東ローマ帝国の硬貨にも描かれた。6世紀ころから、この4つのシンボルは火打鉄と解釈されるようになったが、同時にパレオロゴス王朝の皇帝のモットーである「βασιλεύς βασιλέων, βασιλεύων βασιλευόντων」(王たちの上に君臨する、王の中の王)の頭文字であるギリシャ文字の「β」とも解釈されるようになった。 この十字は中世以降、東ローマの影響下にあったセルビアにも取り入れられ、セルビア国家およびセルビア正教会の象徴となった。そのきっかけになったのは、1345年4月16日にステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」を称し、翌年にはセルビア帝国皇帝に即位して以来のことである。 (ja)
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  • セルビア十字 (ja)
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