ギュンター・リトフィン(ドイツ語: Günter Litfin, 1937年1月19日 – 1961年8月24日)は、東ドイツ(当時)に住んでいた人物であり、ベルリンの壁脱出失敗による最初の殺人被害者である。東ベルリンに住んでいたリトフィンは、西ベルリンで仕立て屋として働いていた。1961年夏、西ベルリンの職場近くに移住を計画していたが、8月13日の「ベルリンの壁」建設によって職も新居も失う結果となった。リトフィンは西ベルリンへの脱出を試みたが、運河内で射殺された。2000年に生地にある通りが「リトフィン通り」と改称された。2003年には実弟によって、現場近くに事件を伝える資料館が開かれた。