エレニ・パレオロギナ(ギリシア語: Ελένη Παλαιολογίνα 1431年 - 1473年11月7日)またはイェレナ・パレオログ(セルビア語: Јелена Палеолог/Jelena Paleolog)は、モレアス専制公ソマス・パレオロゴスの娘、最後のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスの姪。と結婚した。ブランコヴィッチが1458年に死去し、翌1459年6月20日に首都スメデレヴォがオスマン帝国に攻められ陥落した後、イェレナはセルビアからレフカダ島へ亡命し、カトリックに改宗した。後に修道女となり、ヒポモナ(Хипомона, υπομονή ギリシア語で「忍耐強い」の意)という通称で呼ばれた。