エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist、1889年4月9日 - 1985年2月22日)は、ヴァイオリニスト。指揮者や音楽教師も務めたほかに、作曲や編曲も手がけた。ロシア語名はエフレム・アレクサンドロヴィチ(エフロイム・アロノヴィチ)・ツィンバリスト(Ефре́м Алекса́ндрович (Эфро́им Аро́нович) Цимбали́ст)。 ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。指揮者の父親の楽団で、8歳になるまでにヴァイオリンを弾き始める。12歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学してレオポルト・アウアーに師事。卒業後はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。1907年にはロンドンで、1911年にはボストン交響楽団と共演してアメリカ合衆国でもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。 夫人のアルマ・グルック(1884年 - 1938年)は、ルーマニア出身のユダヤ系アメリカ人ソプラノ歌手で、ジンバリストとの間に2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918年11月30日 - 2014年5月2日)はアメリカの有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘、1956年10月8日 - )は世界的に人気のある女優である。

Property Value
dbo:abstract
  • エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist、1889年4月9日 - 1985年2月22日)は、ヴァイオリニスト。指揮者や音楽教師も務めたほかに、作曲や編曲も手がけた。ロシア語名はエフレム・アレクサンドロヴィチ(エフロイム・アロノヴィチ)・ツィンバリスト(Ефре́м Алекса́ндрович (Эфро́им Аро́нович) Цимбали́ст)。 ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。指揮者の父親の楽団で、8歳になるまでにヴァイオリンを弾き始める。12歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学してレオポルト・アウアーに師事。卒業後はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。1907年にはロンドンで、1911年にはボストン交響楽団と共演してアメリカ合衆国でもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。 夫人のアルマ・グルック(1884年 - 1938年)は、ルーマニア出身のユダヤ系アメリカ人ソプラノ歌手で、ジンバリストとの間に2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918年11月30日 - 2014年5月2日)はアメリカの有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘、1956年10月8日 - )は世界的に人気のある女優である。 1922年初来日、以後4度にわたって来日した。1928年にフィラデルフィアのカーティス音楽院で指導を始め、1943年に同校創設者のメアリ・ルイーズ・カーティス・ボック(Mary Louise Curtis Bok)と再婚。1941年から1968年までカーティス音楽院院長に就任する。主要な門人にオスカー・シュムスキーがいるほか、日本の江藤俊哉も高弟のひとりでしばらくカーティス音楽院で教授をつとめた。 1949年にいったん演奏活動から引退するも、1952年に復帰し、ジャン・カルロ・メノッティのヴァイオリン協奏曲(ジンバリストへの献呈作)の世界初演を務めた。1955年にまたも引退。1962年から1966年までチャイコフスキー・コンクールの審査員に加わった。 作曲家としては、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、『アメリカ狂詩曲』、交響詩『ダフニスとクロエ』、弦楽四重奏曲を遺している。このうち、ホ短調の弦楽四重奏曲(1931年/1959年改訂)はによる世界初録音盤がナクソスから発売されている。 (ja)
  • エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist、1889年4月9日 - 1985年2月22日)は、ヴァイオリニスト。指揮者や音楽教師も務めたほかに、作曲や編曲も手がけた。ロシア語名はエフレム・アレクサンドロヴィチ(エフロイム・アロノヴィチ)・ツィンバリスト(Ефре́м Алекса́ндрович (Эфро́им Аро́нович) Цимбали́ст)。 ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。指揮者の父親の楽団で、8歳になるまでにヴァイオリンを弾き始める。12歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学してレオポルト・アウアーに師事。卒業後はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。1907年にはロンドンで、1911年にはボストン交響楽団と共演してアメリカ合衆国でもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。 夫人のアルマ・グルック(1884年 - 1938年)は、ルーマニア出身のユダヤ系アメリカ人ソプラノ歌手で、ジンバリストとの間に2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918年11月30日 - 2014年5月2日)はアメリカの有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘、1956年10月8日 - )は世界的に人気のある女優である。 1922年初来日、以後4度にわたって来日した。1928年にフィラデルフィアのカーティス音楽院で指導を始め、1943年に同校創設者のメアリ・ルイーズ・カーティス・ボック(Mary Louise Curtis Bok)と再婚。1941年から1968年までカーティス音楽院院長に就任する。主要な門人にオスカー・シュムスキーがいるほか、日本の江藤俊哉も高弟のひとりでしばらくカーティス音楽院で教授をつとめた。 1949年にいったん演奏活動から引退するも、1952年に復帰し、ジャン・カルロ・メノッティのヴァイオリン協奏曲(ジンバリストへの献呈作)の世界初演を務めた。1955年にまたも引退。1962年から1966年までチャイコフスキー・コンクールの審査員に加わった。 作曲家としては、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、『アメリカ狂詩曲』、交響詩『ダフニスとクロエ』、弦楽四重奏曲を遺している。このうち、ホ短調の弦楽四重奏曲(1931年/1959年改訂)はによる世界初録音盤がナクソスから発売されている。 (ja)
dbo:background
  • classic
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 306425 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 2992 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 86127388 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:background
  • classic (ja)
  • classic (ja)
prop-ja:died
  • 1985-02-22 (xsd:date)
prop-ja:genre
prop-ja:img
  • Efrem_Zimbalist_photographed_by_Carl_Van_Vechten,_September_26,_1933.jpg (ja)
  • Efrem_Zimbalist_photographed_by_Carl_Van_Vechten,_September_26,_1933.jpg (ja)
prop-ja:imgCapt
  • カール・ヴァン・ヴェクテン、1933年 (ja)
  • カール・ヴァン・ヴェクテン、1933年 (ja)
prop-ja:instrument
prop-ja:name
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
prop-ja:occupation
prop-ja:origin
  • 、ロストフ・ナ・ドヌ (ja)
  • 、ロストフ・ナ・ドヌ (ja)
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist、1889年4月9日 - 1985年2月22日)は、ヴァイオリニスト。指揮者や音楽教師も務めたほかに、作曲や編曲も手がけた。ロシア語名はエフレム・アレクサンドロヴィチ(エフロイム・アロノヴィチ)・ツィンバリスト(Ефре́м Алекса́ндрович (Эфро́им Аро́нович) Цимбали́ст)。 ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。指揮者の父親の楽団で、8歳になるまでにヴァイオリンを弾き始める。12歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学してレオポルト・アウアーに師事。卒業後はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。1907年にはロンドンで、1911年にはボストン交響楽団と共演してアメリカ合衆国でもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。 夫人のアルマ・グルック(1884年 - 1938年)は、ルーマニア出身のユダヤ系アメリカ人ソプラノ歌手で、ジンバリストとの間に2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918年11月30日 - 2014年5月2日)はアメリカの有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘、1956年10月8日 - )は世界的に人気のある女優である。 (ja)
  • エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist、1889年4月9日 - 1985年2月22日)は、ヴァイオリニスト。指揮者や音楽教師も務めたほかに、作曲や編曲も手がけた。ロシア語名はエフレム・アレクサンドロヴィチ(エフロイム・アロノヴィチ)・ツィンバリスト(Ефре́м Алекса́ндрович (Эфро́им Аро́нович) Цимбали́ст)。 ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれる。指揮者の父親の楽団で、8歳になるまでにヴァイオリンを弾き始める。12歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学してレオポルト・アウアーに師事。卒業後はベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。1907年にはロンドンで、1911年にはボストン交響楽団と共演してアメリカ合衆国でもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。 夫人のアルマ・グルック(1884年 - 1938年)は、ルーマニア出身のユダヤ系アメリカ人ソプラノ歌手で、ジンバリストとの間に2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918年11月30日 - 2014年5月2日)はアメリカの有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘、1956年10月8日 - )は世界的に人気のある女優である。 (ja)
rdfs:label
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
  • エフレム・ジンバリスト (ja)
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:著名な家族 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of