Property |
Value |
dbo:abstract
|
- エニセイスク(Енисейск, Yeniseysk/Eniseisk )はロシア連邦、クラスノヤルスク地方の都市で、エニセイ川の河岸に位置する。人口は20,394人(2002年)、22,891人(1989年)、20,000人(1970年)。1月の平均気温はマイナス22度で真冬の気温は-24~-34℃(-12~-30℉)。7月の平均気温は18度で真夏の気温は18~30℃(64~86℉)。 エニセイスクは1619年、コサックによりシベリア進出の拠点のひとつとしてエニセイ川沿岸に築かれた。当時は柵に囲まれ外敵の攻撃に備えた町であった。1635年に町となり、17世紀から18世紀にかけては東シベリアへの玄関口としてその植民地化の拠点となったため「シベリアの町々の父」とも呼ばれる。かつてはロシアの金の9割はエニセイスク近辺で採掘されたほか、東シベリアの先住民から集められた毛皮がモスクワに向かう通過点でもあったため、金・毛皮交易で大いに繁栄した。またエニセイスクは17世紀から18世紀にかけてシベリアの宗教の中心ともなったため多くの教会が残り、ロシア連邦政府の世界遺産暫定リストに登録されている。 またヨシフ・スターリン時代には、北方のグラグ(収容所)へ送られる拘留者たちがエニセイスクで船に乗せかえられた。 (ja)
- エニセイスク(Енисейск, Yeniseysk/Eniseisk )はロシア連邦、クラスノヤルスク地方の都市で、エニセイ川の河岸に位置する。人口は20,394人(2002年)、22,891人(1989年)、20,000人(1970年)。1月の平均気温はマイナス22度で真冬の気温は-24~-34℃(-12~-30℉)。7月の平均気温は18度で真夏の気温は18~30℃(64~86℉)。 エニセイスクは1619年、コサックによりシベリア進出の拠点のひとつとしてエニセイ川沿岸に築かれた。当時は柵に囲まれ外敵の攻撃に備えた町であった。1635年に町となり、17世紀から18世紀にかけては東シベリアへの玄関口としてその植民地化の拠点となったため「シベリアの町々の父」とも呼ばれる。かつてはロシアの金の9割はエニセイスク近辺で採掘されたほか、東シベリアの先住民から集められた毛皮がモスクワに向かう通過点でもあったため、金・毛皮交易で大いに繁栄した。またエニセイスクは17世紀から18世紀にかけてシベリアの宗教の中心ともなったため多くの教会が残り、ロシア連邦政府の世界遺産暫定リストに登録されている。 またヨシフ・スターリン時代には、北方のグラグ(収容所)へ送られる拘留者たちがエニセイスクで船に乗せかえられた。 (ja)
|
dbo:thumbnail
| |
dbo:wikiPageExternalLink
| |
dbo:wikiPageID
| |
dbo:wikiPageLength
|
- 1666 (xsd:nonNegativeInteger)
|
dbo:wikiPageRevisionID
| |
dbo:wikiPageWikiLink
| |
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
| |
dct:subject
| |
georss:point
|
- 58.46666666666667 92.13333333333334
|
rdf:type
| |
rdfs:comment
|
- エニセイスク(Енисейск, Yeniseysk/Eniseisk )はロシア連邦、クラスノヤルスク地方の都市で、エニセイ川の河岸に位置する。人口は20,394人(2002年)、22,891人(1989年)、20,000人(1970年)。1月の平均気温はマイナス22度で真冬の気温は-24~-34℃(-12~-30℉)。7月の平均気温は18度で真夏の気温は18~30℃(64~86℉)。 エニセイスクは1619年、コサックによりシベリア進出の拠点のひとつとしてエニセイ川沿岸に築かれた。当時は柵に囲まれ外敵の攻撃に備えた町であった。1635年に町となり、17世紀から18世紀にかけては東シベリアへの玄関口としてその植民地化の拠点となったため「シベリアの町々の父」とも呼ばれる。かつてはロシアの金の9割はエニセイスク近辺で採掘されたほか、東シベリアの先住民から集められた毛皮がモスクワに向かう通過点でもあったため、金・毛皮交易で大いに繁栄した。またエニセイスクは17世紀から18世紀にかけてシベリアの宗教の中心ともなったため多くの教会が残り、ロシア連邦政府の世界遺産暫定リストに登録されている。 またヨシフ・スターリン時代には、北方のグラグ(収容所)へ送られる拘留者たちがエニセイスクで船に乗せかえられた。 (ja)
- エニセイスク(Енисейск, Yeniseysk/Eniseisk )はロシア連邦、クラスノヤルスク地方の都市で、エニセイ川の河岸に位置する。人口は20,394人(2002年)、22,891人(1989年)、20,000人(1970年)。1月の平均気温はマイナス22度で真冬の気温は-24~-34℃(-12~-30℉)。7月の平均気温は18度で真夏の気温は18~30℃(64~86℉)。 エニセイスクは1619年、コサックによりシベリア進出の拠点のひとつとしてエニセイ川沿岸に築かれた。当時は柵に囲まれ外敵の攻撃に備えた町であった。1635年に町となり、17世紀から18世紀にかけては東シベリアへの玄関口としてその植民地化の拠点となったため「シベリアの町々の父」とも呼ばれる。かつてはロシアの金の9割はエニセイスク近辺で採掘されたほか、東シベリアの先住民から集められた毛皮がモスクワに向かう通過点でもあったため、金・毛皮交易で大いに繁栄した。またエニセイスクは17世紀から18世紀にかけてシベリアの宗教の中心ともなったため多くの教会が残り、ロシア連邦政府の世界遺産暫定リストに登録されている。 またヨシフ・スターリン時代には、北方のグラグ(収容所)へ送られる拘留者たちがエニセイスクで船に乗せかえられた。 (ja)
|
rdfs:label
| |
owl:sameAs
| |
geo:geometry
|
- POINT(92.133331298828 58.466667175293)
|
geo:lat
| |
geo:long
| |
prov:wasDerivedFrom
| |
foaf:depiction
| |
foaf:isPrimaryTopicOf
| |
is dbo:wikiPageWikiLink
of | |
is owl:sameAs
of | |
is foaf:primaryTopic
of | |