MAUD委員会(モードいいんかい、MAUD Committee)は第二次世界大戦中のイギリスで原子爆弾の可能性を探るために設けられた科学者からなる委員会である。 1941年に委員会はウラン濃縮とそれによるウラン爆弾が技術的に可能だとする報告を提出し、これがアメリカ政府に伝えられて原爆開発計画の直接の開始要因となった。 日本語では MAUD の読みをとってモード委員会とカナ書きされることもある。 この委員会名となっている MAUD は Military Application of Uranium Detonation(ウラン爆発の軍事応用)や Military Application of Uranium Disintegration(ウラン分裂の軍事利用)のような語の頭字語とされることがあるが、実際には、偽装として電報文から選ばれた名称であり、特に意味のないものであった(の節を参照)。