ISU-152またはJSU-152(ロシア語: ИСУ-152イー・スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。 本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。

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  • ISU-152またはJSU-152(ロシア語: ИСУ-152イー・スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。 本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。 (ja)
  • ISU-152またはJSU-152(ロシア語: ИСУ-152イー・スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。 本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。 (ja)
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  • ISU-152またはJSU-152(ロシア語: ИСУ-152イー・スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。 本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。 (ja)
  • ISU-152またはJSU-152(ロシア語: ИСУ-152イー・スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。 本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。 (ja)
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  • ISU-152 (自走砲) (ja)
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