GETTING BETTER DEMO(ゲッティング・ベター・デモ)は、1983年3月に海外用デモテープとしてレコーディングされたオフコースの。 解説と思われる 鈴木康博が脱退したオフコースは、新たな戦略として全米進出を計画した。この計画は、主に小田和正を中心として1982年末頃から進められ、1983年3月、「We are」、「over」、「I LOVE YOU」、「NEXT SOUND TRACK」から計9曲を選抜し、英詞化したものを海外用プロモーションテープとしてレコーディングした。 この音源集は、当時の彼らのプライベートスタジオ名にちなみ、“GETTING BETTER DEMO”と題された。 日本史では、あまりお目にかかれない、における極々初期ブートとして認識されることになる。現在youtubeなどにあがっているものは、既に何世代か後の音源である。 作詞には、メンバー本人たちの他、スタッフの知り合いだったジミー・コンプトンが手伝っている。しかし、詞がイギリス的だったからなのか、「アメリカの業界には受けないどころかボロクソに言われ、その後のジミーの意気消沈ぶりはすごかった」と松尾一彦はソロライブで度々コメントしている。

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  • GETTING BETTER DEMO(ゲッティング・ベター・デモ)は、1983年3月に海外用デモテープとしてレコーディングされたオフコースの。 解説と思われる 鈴木康博が脱退したオフコースは、新たな戦略として全米進出を計画した。この計画は、主に小田和正を中心として1982年末頃から進められ、1983年3月、「We are」、「over」、「I LOVE YOU」、「NEXT SOUND TRACK」から計9曲を選抜し、英詞化したものを海外用プロモーションテープとしてレコーディングした。 この音源集は、当時の彼らのプライベートスタジオ名にちなみ、“GETTING BETTER DEMO”と題された。 日本史では、あまりお目にかかれない、における極々初期ブートとして認識されることになる。現在youtubeなどにあがっているものは、既に何世代か後の音源である。 作詞には、メンバー本人たちの他、スタッフの知り合いだったジミー・コンプトンが手伝っている。しかし、詞がイギリス的だったからなのか、「アメリカの業界には受けないどころかボロクソに言われ、その後のジミーの意気消沈ぶりはすごかった」と松尾一彦はソロライブで度々コメントしている。 バックトラックはそれぞれ、のオリジナルをリミックス(鈴木 氏のトラックを差し引いた)。1970年にロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムスが自分たちの曲を売り込むために作成したデモ・ヴァージョン集のように、自身を売り込むだけでなく、楽曲が採用されるようにアメリカの管理会社に置くための楽曲集でもあったと思われる(この事によって、KRC バンドが『さよなら』をSAYONARAとカヴァーしている。歌詞は一緒で、アレンジは全く違う。加えて作詞曲のクレジットが K. Kazuhiko, T. Matsuyamaのように、小田和正名義ではなくなっている。こういう所からも、残念な作品集である)。音源が表立って出回りだしたのはwinnyというファイル交換サイトが流行ってから、である(128ビットレートの決して高音質ではなく、mp3という当時では普通の設定ですでにモノラルであった [意図的に音質を落とした可能性がある]。元の音源は先のwinnyが出回りだしてた頃に、とあるアーティストのブログに上がっていた、であろうテクニクスのカセットテープを基に起こされている、と思われる)。 この音源集は未だに日の目を見ることがなく、業界内の一部関係者しか所持していない。裏では出回っているという事実もあるが、音質は悪く(とはいえオリジナルは当時の標準音質)、何故か松尾による作曲の楽曲のみ(作為的)音飛びが入っている(音源元がレコードではない事からも、音源集としては、しっかりした音源なのは容易に解る。レコードにおける音飛びではないのが一聴して判る)。但し、欠損部分を元音源と組み合わせるなど補填された音源も存在する。 (ja)
  • GETTING BETTER DEMO(ゲッティング・ベター・デモ)は、1983年3月に海外用デモテープとしてレコーディングされたオフコースの。 解説と思われる 鈴木康博が脱退したオフコースは、新たな戦略として全米進出を計画した。この計画は、主に小田和正を中心として1982年末頃から進められ、1983年3月、「We are」、「over」、「I LOVE YOU」、「NEXT SOUND TRACK」から計9曲を選抜し、英詞化したものを海外用プロモーションテープとしてレコーディングした。 この音源集は、当時の彼らのプライベートスタジオ名にちなみ、“GETTING BETTER DEMO”と題された。 日本史では、あまりお目にかかれない、における極々初期ブートとして認識されることになる。現在youtubeなどにあがっているものは、既に何世代か後の音源である。 作詞には、メンバー本人たちの他、スタッフの知り合いだったジミー・コンプトンが手伝っている。しかし、詞がイギリス的だったからなのか、「アメリカの業界には受けないどころかボロクソに言われ、その後のジミーの意気消沈ぶりはすごかった」と松尾一彦はソロライブで度々コメントしている。 バックトラックはそれぞれ、のオリジナルをリミックス(鈴木 氏のトラックを差し引いた)。1970年にロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムスが自分たちの曲を売り込むために作成したデモ・ヴァージョン集のように、自身を売り込むだけでなく、楽曲が採用されるようにアメリカの管理会社に置くための楽曲集でもあったと思われる(この事によって、KRC バンドが『さよなら』をSAYONARAとカヴァーしている。歌詞は一緒で、アレンジは全く違う。加えて作詞曲のクレジットが K. Kazuhiko, T. Matsuyamaのように、小田和正名義ではなくなっている。こういう所からも、残念な作品集である)。音源が表立って出回りだしたのはwinnyというファイル交換サイトが流行ってから、である(128ビットレートの決して高音質ではなく、mp3という当時では普通の設定ですでにモノラルであった [意図的に音質を落とした可能性がある]。元の音源は先のwinnyが出回りだしてた頃に、とあるアーティストのブログに上がっていた、であろうテクニクスのカセットテープを基に起こされている、と思われる)。 この音源集は未だに日の目を見ることがなく、業界内の一部関係者しか所持していない。裏では出回っているという事実もあるが、音質は悪く(とはいえオリジナルは当時の標準音質)、何故か松尾による作曲の楽曲のみ(作為的)音飛びが入っている(音源元がレコードではない事からも、音源集としては、しっかりした音源なのは容易に解る。レコードにおける音飛びではないのが一聴して判る)。但し、欠損部分を元音源と組み合わせるなど補填された音源も存在する。 (ja)
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  • GETTING BETTER DEMO(ゲッティング・ベター・デモ)は、1983年3月に海外用デモテープとしてレコーディングされたオフコースの。 解説と思われる 鈴木康博が脱退したオフコースは、新たな戦略として全米進出を計画した。この計画は、主に小田和正を中心として1982年末頃から進められ、1983年3月、「We are」、「over」、「I LOVE YOU」、「NEXT SOUND TRACK」から計9曲を選抜し、英詞化したものを海外用プロモーションテープとしてレコーディングした。 この音源集は、当時の彼らのプライベートスタジオ名にちなみ、“GETTING BETTER DEMO”と題された。 日本史では、あまりお目にかかれない、における極々初期ブートとして認識されることになる。現在youtubeなどにあがっているものは、既に何世代か後の音源である。 作詞には、メンバー本人たちの他、スタッフの知り合いだったジミー・コンプトンが手伝っている。しかし、詞がイギリス的だったからなのか、「アメリカの業界には受けないどころかボロクソに言われ、その後のジミーの意気消沈ぶりはすごかった」と松尾一彦はソロライブで度々コメントしている。 (ja)
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