7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。 1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。 全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。また砲身は手前から75mm施条部・75mmから55mmへ絞る無施条円錐部・55mm無施条部の三分割式で、摩耗し易い円錐部だけ交換できるようになっていた。 車載版の7.5cm KwK 41はIV号戦車への搭載も計画されたが、タングステン割当の都合により開発中止となった。

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  • 7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。 1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。 全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。また砲身は手前から75mm施条部・75mmから55mmへ絞る無施条円錐部・55mm無施条部の三分割式で、摩耗し易い円錐部だけ交換できるようになっていた。 貴重なモリブデン鋼を必要とする他、Pzgr.41(Hk)製造に不可欠なタングステン・カーバイドは海外からの輸入頼りで、大量生産が認められなかった。命中精度にも問題があったとされている。主要装備となった7.5cm PaK 40が重大な敵であったT-34中戦車に対抗できたため、本砲はわずか150門の限定生産に止まった。ただし卓越した火力はKV-1重戦車に有効で、7.5cm PaK 40における有効距離の倍の1,000mでも正面撃破できた。射耗後は大部が廃棄されたが、数門のみラインメタル社製の通常砲身に換装している。 車載版の7.5cm KwK 41はIV号戦車への搭載も計画されたが、タングステン割当の都合により開発中止となった。 なお、日本も7.5cm PaK 41の設計を参考にして、1943年7月に「ゲ式七十五粍対戦車砲」として開発へ着手し、ナト(後の五式七糎半対戦車砲)への搭載も検討していたが、タ弾(成形炸薬弾)の方が優先され、1944年7月に計画を中止している。 (ja)
  • 7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。 1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。 全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。また砲身は手前から75mm施条部・75mmから55mmへ絞る無施条円錐部・55mm無施条部の三分割式で、摩耗し易い円錐部だけ交換できるようになっていた。 貴重なモリブデン鋼を必要とする他、Pzgr.41(Hk)製造に不可欠なタングステン・カーバイドは海外からの輸入頼りで、大量生産が認められなかった。命中精度にも問題があったとされている。主要装備となった7.5cm PaK 40が重大な敵であったT-34中戦車に対抗できたため、本砲はわずか150門の限定生産に止まった。ただし卓越した火力はKV-1重戦車に有効で、7.5cm PaK 40における有効距離の倍の1,000mでも正面撃破できた。射耗後は大部が廃棄されたが、数門のみラインメタル社製の通常砲身に換装している。 車載版の7.5cm KwK 41はIV号戦車への搭載も計画されたが、タングステン割当の都合により開発中止となった。 なお、日本も7.5cm PaK 41の設計を参考にして、1943年7月に「ゲ式七十五粍対戦車砲」として開発へ着手し、ナト(後の五式七糎半対戦車砲)への搭載も検討していたが、タ弾(成形炸薬弾)の方が優先され、1944年7月に計画を中止している。 (ja)
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  • 7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。 1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。 全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。また砲身は手前から75mm施条部・75mmから55mmへ絞る無施条円錐部・55mm無施条部の三分割式で、摩耗し易い円錐部だけ交換できるようになっていた。 車載版の7.5cm KwK 41はIV号戦車への搭載も計画されたが、タングステン割当の都合により開発中止となった。 (ja)
  • 7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。 1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。 全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。また砲身は手前から75mm施条部・75mmから55mmへ絞る無施条円錐部・55mm無施条部の三分割式で、摩耗し易い円錐部だけ交換できるようになっていた。 車載版の7.5cm KwK 41はIV号戦車への搭載も計画されたが、タングステン割当の都合により開発中止となった。 (ja)
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