谷口 藍田(たにぐち らんでん、文政5年8月15日(1822年9月19日) - 明治35年(1902年)11月14日)は江戸時代から明治時代の儒学者。名は中秋、字は大明、別号に介石。幼名は秋之助。肥前国有田(現・佐賀県有田町)出身。 儒学や漢学、洋学など内外の学問を学び、近代教育の父と呼ばれている。幼い頃は神童と呼ばれた。九州の谷口家とは別の流れの子孫有り。将棋棋士六段の間宮純一は谷口藍田の外孫である。谷口藍田が伊豆で暮らしていた時に網元の娘との間に産まれた娘の長男である。