興化存奨(こうけ そんしょう)は、晩唐の禅僧で臨済義玄の法嗣である。 大和4年(830年)に兗州曲阜県闕里にて生まれる。俗姓は孔氏。臨済義玄やその法嗣、三聖慧然の許に参禅し、臨済義玄の法を継いだ。魏州興化寺に住し、師の語録である臨済録の編集ではその校勘を担った。文徳元年(888年)7月12日に示寂。塔所を通寂塔と称した。法嗣に南院慧顒がおり、その法を後代に伝えた。その語録として興化禅師語録があるほか、『景徳傳燈録』巻12が事績を伝える。

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  • 興化存奨(こうけ そんしょう)は、晩唐の禅僧で臨済義玄の法嗣である。 大和4年(830年)に兗州曲阜県闕里にて生まれる。俗姓は孔氏。臨済義玄やその法嗣、三聖慧然の許に参禅し、臨済義玄の法を継いだ。魏州興化寺に住し、師の語録である臨済録の編集ではその校勘を担った。文徳元年(888年)7月12日に示寂。塔所を通寂塔と称した。法嗣に南院慧顒がおり、その法を後代に伝えた。その語録として興化禅師語録があるほか、『景徳傳燈録』巻12が事績を伝える。 (ja)
  • 興化存奨(こうけ そんしょう)は、晩唐の禅僧で臨済義玄の法嗣である。 大和4年(830年)に兗州曲阜県闕里にて生まれる。俗姓は孔氏。臨済義玄やその法嗣、三聖慧然の許に参禅し、臨済義玄の法を継いだ。魏州興化寺に住し、師の語録である臨済録の編集ではその校勘を担った。文徳元年(888年)7月12日に示寂。塔所を通寂塔と称した。法嗣に南院慧顒がおり、その法を後代に伝えた。その語録として興化禅師語録があるほか、『景徳傳燈録』巻12が事績を伝える。 (ja)
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  • 興化存奨(こうけ そんしょう)は、晩唐の禅僧で臨済義玄の法嗣である。 大和4年(830年)に兗州曲阜県闕里にて生まれる。俗姓は孔氏。臨済義玄やその法嗣、三聖慧然の許に参禅し、臨済義玄の法を継いだ。魏州興化寺に住し、師の語録である臨済録の編集ではその校勘を担った。文徳元年(888年)7月12日に示寂。塔所を通寂塔と称した。法嗣に南院慧顒がおり、その法を後代に伝えた。その語録として興化禅師語録があるほか、『景徳傳燈録』巻12が事績を伝える。 (ja)
  • 興化存奨(こうけ そんしょう)は、晩唐の禅僧で臨済義玄の法嗣である。 大和4年(830年)に兗州曲阜県闕里にて生まれる。俗姓は孔氏。臨済義玄やその法嗣、三聖慧然の許に参禅し、臨済義玄の法を継いだ。魏州興化寺に住し、師の語録である臨済録の編集ではその校勘を担った。文徳元年(888年)7月12日に示寂。塔所を通寂塔と称した。法嗣に南院慧顒がおり、その法を後代に伝えた。その語録として興化禅師語録があるほか、『景徳傳燈録』巻12が事績を伝える。 (ja)
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  • 興化存奨 (ja)
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