掖庭の獄(えきていのごく)は、北宋後期に哲宗の皇后であった孟氏(後の元祐太后)が廃されるきっかけになった疑獄事件。原因としては哲宗の個人的判断による側面も含まれるものの、当時の新法派政権が哲宗の意を受けて廃后に積極的に動いたこと、廃された孟氏が旧法派の後ろ盾とされた宣仁太后に引き立てられ、後の旧法・新法両派の盛衰に伴って復位と廃位を繰り返したことなど、当時の政治情勢(新法・旧法の争い)との関連性も否定できない。