山本守礼(やまもと しゅれい(もりひろ)、宝暦元年(1751年 - 寛政2年2月26日(1790年4月10日))は、江戸時代中期の絵師。本姓は藤原、旧姓は亀岡。諱は守貞、のち守礼。通称は数馬、主水。字は子敬、号を久珂、探芳斎、猶亭。円山応挙の弟子。今日「守礼」は「しゅれい」と読まれるが、当時の宮中では「もりひろ」と読んでいた。山本家は京都で代々狩野探幽の流れをくむ画系で、守礼はその6代目だが、守礼の代で円山派に転向した。

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  • 山本守礼(やまもと しゅれい(もりひろ)、宝暦元年(1751年 - 寛政2年2月26日(1790年4月10日))は、江戸時代中期の絵師。本姓は藤原、旧姓は亀岡。諱は守貞、のち守礼。通称は数馬、主水。字は子敬、号を久珂、探芳斎、猶亭。円山応挙の弟子。今日「守礼」は「しゅれい」と読まれるが、当時の宮中では「もりひろ」と読んでいた。山本家は京都で代々狩野探幽の流れをくむ画系で、守礼はその6代目だが、守礼の代で円山派に転向した。 (ja)
  • 山本守礼(やまもと しゅれい(もりひろ)、宝暦元年(1751年 - 寛政2年2月26日(1790年4月10日))は、江戸時代中期の絵師。本姓は藤原、旧姓は亀岡。諱は守貞、のち守礼。通称は数馬、主水。字は子敬、号を久珂、探芳斎、猶亭。円山応挙の弟子。今日「守礼」は「しゅれい」と読まれるが、当時の宮中では「もりひろ」と読んでいた。山本家は京都で代々狩野探幽の流れをくむ画系で、守礼はその6代目だが、守礼の代で円山派に転向した。 (ja)
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