フィデル・カストロ暗殺未遂事件(フィデル・カストロあんさつみすいじけん)では、キューバにて1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めた、フィデル・カストロに対する暗殺未遂事件を扱う。未遂事件は国家元首就任時から、腸炎の療養に伴い弟のラウル・カストロへ議長職を暫定委譲(その後2008年2月24日、国家評議会議長に選出)し一線を退いた2006年まで638件にも上り、「暗殺されそうになった回数が最も多い人物」として、2011年にギネスブックへの掲載が決まった。