チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。NHK交響楽団のヨーロッパツアー、米国ツアーのサポート、ニューヨーク・フィルハーモニックの北朝鮮公演に多大な貢献をした。また、ロシア・マリインスキー新劇場の建設に巨額の寄付を行った。2013年には熊本県近代文化功労者となり、2014年にはロシアの友好勲章を受章した。 2015年1月10日、ローマの病院で死去。同年8月5日、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、東京交響楽団の追悼演奏会がサントリーホールにて行われ、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』が演奏された。

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  • チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。NHK交響楽団のヨーロッパツアー、米国ツアーのサポート、ニューヨーク・フィルハーモニックの北朝鮮公演に多大な貢献をした。また、ロシア・マリインスキー新劇場の建設に巨額の寄付を行った。2013年には熊本県近代文化功労者となり、2014年にはロシアの友好勲章を受章した。 2015年1月10日、ローマの病院で死去。同年8月5日、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、東京交響楽団の追悼演奏会がサントリーホールにて行われ、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』が演奏された。 (ja)
  • チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。NHK交響楽団のヨーロッパツアー、米国ツアーのサポート、ニューヨーク・フィルハーモニックの北朝鮮公演に多大な貢献をした。また、ロシア・マリインスキー新劇場の建設に巨額の寄付を行った。2013年には熊本県近代文化功労者となり、2014年にはロシアの友好勲章を受章した。 2015年1月10日、ローマの病院で死去。同年8月5日、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、東京交響楽団の追悼演奏会がサントリーホールにて行われ、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』が演奏された。 (ja)
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  • チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。NHK交響楽団のヨーロッパツアー、米国ツアーのサポート、ニューヨーク・フィルハーモニックの北朝鮮公演に多大な貢献をした。また、ロシア・マリインスキー新劇場の建設に巨額の寄付を行った。2013年には熊本県近代文化功労者となり、2014年にはロシアの友好勲章を受章した。 2015年1月10日、ローマの病院で死去。同年8月5日、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、東京交響楽団の追悼演奏会がサントリーホールにて行われ、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』が演奏された。 (ja)
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