シャルル=トマ・マヤール・ド・トゥルノン(Charles-Thomas Maillard de Tournon、1668年12月21日 - 1710年6月8日)は、サヴォイア公国(今のイタリア)出身の枢機卿。教皇クレメンス11世の使節として清に赴き、中国の典礼問題に関する教皇の決定を康熙帝に伝えたが、会談は完全に決裂した。 名はイタリア語式に「Carlo Tommaso」ともいう。中国語の名前は、「多羅もしくは鐸羅」