リヴォルタ・グリフォ(Rivolta Grifo )はイタリアの自動車メーカー・イソが1965年から1974年まで生産した2座席のスーパースポーツカーである。 シボレーV8エンジンを搭載した2+2スポーツクーペ・リヴォルタGTの好評を受け、追加モデル投入を考えていたイソの創業者・の求めに応じて、元フェラーリのエンジニア ・がシャシーを開発、ベルトーネのチーフデザイナーになったばかりのジョルジェット・ジウジアーロがボディをデザインし、1963年のトリノ・ショーに「グリフォA3/L」(ロードバージョン)・「グリフォA3/C」(コンペティションモデル)としてデビュー、その美しいデザインと精緻なシャシー設計が賞賛された。 グリフォは2年後の1965年に生産化に移された。イソが生産したのはA3/Lの生産型であるシボレー・コルベット用5,400cc300-350馬力を積むグリフォGLで、最高速度は275km/hに達した。一方のビッザリーニは1964年のル・マン24時間レースで14位に入賞したA3/Cを生産化、22台を生産したところで両者は袂を分かつこととなり、A3/Cの生産は打ち切られた。 1968年には7リッター版が追加された。ボンネットには大きなエアスクープが作られ、コルベット7リッター用435馬力/5,800rpmエンジンを収容し、最高速度は当時世界最速の300km/hを誇った。

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  • リヴォルタ・グリフォ(Rivolta Grifo )はイタリアの自動車メーカー・イソが1965年から1974年まで生産した2座席のスーパースポーツカーである。 シボレーV8エンジンを搭載した2+2スポーツクーペ・リヴォルタGTの好評を受け、追加モデル投入を考えていたイソの創業者・の求めに応じて、元フェラーリのエンジニア ・がシャシーを開発、ベルトーネのチーフデザイナーになったばかりのジョルジェット・ジウジアーロがボディをデザインし、1963年のトリノ・ショーに「グリフォA3/L」(ロードバージョン)・「グリフォA3/C」(コンペティションモデル)としてデビュー、その美しいデザインと精緻なシャシー設計が賞賛された。 グリフォは2年後の1965年に生産化に移された。イソが生産したのはA3/Lの生産型であるシボレー・コルベット用5,400cc300-350馬力を積むグリフォGLで、最高速度は275km/hに達した。一方のビッザリーニは1964年のル・マン24時間レースで14位に入賞したA3/Cを生産化、22台を生産したところで両者は袂を分かつこととなり、A3/Cの生産は打ち切られた。 1968年には7リッター版が追加された。ボンネットには大きなエアスクープが作られ、コルベット7リッター用435馬力/5,800rpmエンジンを収容し、最高速度は当時世界最速の300km/hを誇った。 1970年にはマイナーチェンジが行われシリーズIIとなった。ヘッドライトが半格納式となり、わずか4台ながらタルガトップ式のオープンモデルも生産され、7リッターに代わる最速モデルとして“Can Am”が追加された。"Can Am"は7リッターほどは速くなかったが、極めて希少、快適、そして獰猛なスーパーカーとして今日でも高い評価を得ている。 1972年、イソ社は使用エンジンをフォード製に変更、IR-8となった。5,769cc325馬力のこのモデルは最高速255km/hに留まり、シボレーエンジン時代の生気を失ってしまい、1974年イソの倒産とともに消滅する。 生産台数はシリーズIが322台、IIが78台の計400台で、内90台が7リッターである。またシリーズIIの5速ミッション車は23台、"Can Am"のタルガトップは1台しか生産されておらず、とりわけ希少価値が高い。 1990年代に入り、マルチェロ・ガンディーニのデザインでグリフォを復活させるプランが立ち上がったが、結局実現しなかった。 (ja)
  • リヴォルタ・グリフォ(Rivolta Grifo )はイタリアの自動車メーカー・イソが1965年から1974年まで生産した2座席のスーパースポーツカーである。 シボレーV8エンジンを搭載した2+2スポーツクーペ・リヴォルタGTの好評を受け、追加モデル投入を考えていたイソの創業者・の求めに応じて、元フェラーリのエンジニア ・がシャシーを開発、ベルトーネのチーフデザイナーになったばかりのジョルジェット・ジウジアーロがボディをデザインし、1963年のトリノ・ショーに「グリフォA3/L」(ロードバージョン)・「グリフォA3/C」(コンペティションモデル)としてデビュー、その美しいデザインと精緻なシャシー設計が賞賛された。 グリフォは2年後の1965年に生産化に移された。イソが生産したのはA3/Lの生産型であるシボレー・コルベット用5,400cc300-350馬力を積むグリフォGLで、最高速度は275km/hに達した。一方のビッザリーニは1964年のル・マン24時間レースで14位に入賞したA3/Cを生産化、22台を生産したところで両者は袂を分かつこととなり、A3/Cの生産は打ち切られた。 1968年には7リッター版が追加された。ボンネットには大きなエアスクープが作られ、コルベット7リッター用435馬力/5,800rpmエンジンを収容し、最高速度は当時世界最速の300km/hを誇った。 1970年にはマイナーチェンジが行われシリーズIIとなった。ヘッドライトが半格納式となり、わずか4台ながらタルガトップ式のオープンモデルも生産され、7リッターに代わる最速モデルとして“Can Am”が追加された。"Can Am"は7リッターほどは速くなかったが、極めて希少、快適、そして獰猛なスーパーカーとして今日でも高い評価を得ている。 1972年、イソ社は使用エンジンをフォード製に変更、IR-8となった。5,769cc325馬力のこのモデルは最高速255km/hに留まり、シボレーエンジン時代の生気を失ってしまい、1974年イソの倒産とともに消滅する。 生産台数はシリーズIが322台、IIが78台の計400台で、内90台が7リッターである。またシリーズIIの5速ミッション車は23台、"Can Am"のタルガトップは1台しか生産されておらず、とりわけ希少価値が高い。 1990年代に入り、マルチェロ・ガンディーニのデザインでグリフォを復活させるプランが立ち上がったが、結局実現しなかった。 (ja)
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  • リヴォルタ・グリフォ(Rivolta Grifo )はイタリアの自動車メーカー・イソが1965年から1974年まで生産した2座席のスーパースポーツカーである。 シボレーV8エンジンを搭載した2+2スポーツクーペ・リヴォルタGTの好評を受け、追加モデル投入を考えていたイソの創業者・の求めに応じて、元フェラーリのエンジニア ・がシャシーを開発、ベルトーネのチーフデザイナーになったばかりのジョルジェット・ジウジアーロがボディをデザインし、1963年のトリノ・ショーに「グリフォA3/L」(ロードバージョン)・「グリフォA3/C」(コンペティションモデル)としてデビュー、その美しいデザインと精緻なシャシー設計が賞賛された。 グリフォは2年後の1965年に生産化に移された。イソが生産したのはA3/Lの生産型であるシボレー・コルベット用5,400cc300-350馬力を積むグリフォGLで、最高速度は275km/hに達した。一方のビッザリーニは1964年のル・マン24時間レースで14位に入賞したA3/Cを生産化、22台を生産したところで両者は袂を分かつこととなり、A3/Cの生産は打ち切られた。 1968年には7リッター版が追加された。ボンネットには大きなエアスクープが作られ、コルベット7リッター用435馬力/5,800rpmエンジンを収容し、最高速度は当時世界最速の300km/hを誇った。 (ja)
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