『ぷろふいる』(後に『仮面』に改題)は、1946年に刊行が開始された日本の探偵小説誌。 1933年から1937年まで刊行された第1次『ぷろふいる』の誌名を引き継ぎ、1946年7月に再刊第一号が刊行された。4か月に1冊ほどのペースで5冊刊行されたのち、1948年2月に『仮面』に改題し、以降はほぼ月刊のペースで7冊(本誌4冊、増刊3冊)刊行された。1948年8月の臨時増刊が最終号となった。なお、同時期を代表する探偵小説誌である『宝石』が創刊されたのは、第2次『ぷろふいる』刊行開始の3か月前の1946年4月である。 編集長は、第1次『ぷろふいる』の後期で編集に携わった九鬼澹(後に九鬼紫郎に改名)が務めた。第1次『ぷろふいる』の後継誌ではあるものの、第1次『ぷろふいる』の出資者だった熊谷晃一(本名・熊谷市郎)は1983年に行われたインタビューで第2次『ぷろふいる』には関わっていないことを証言している。 九鬼澹のユーモア本格「豹介シリーズ」や、角田喜久雄と海野十三の共有ペンネームである青鷺幽鬼(あおさぎ ゆうき)名義の短編小説などが掲載された。新人では、をデビューさせている。

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  • 『ぷろふいる』(後に『仮面』に改題)は、1946年に刊行が開始された日本の探偵小説誌。 1933年から1937年まで刊行された第1次『ぷろふいる』の誌名を引き継ぎ、1946年7月に再刊第一号が刊行された。4か月に1冊ほどのペースで5冊刊行されたのち、1948年2月に『仮面』に改題し、以降はほぼ月刊のペースで7冊(本誌4冊、増刊3冊)刊行された。1948年8月の臨時増刊が最終号となった。なお、同時期を代表する探偵小説誌である『宝石』が創刊されたのは、第2次『ぷろふいる』刊行開始の3か月前の1946年4月である。 編集長は、第1次『ぷろふいる』の後期で編集に携わった九鬼澹(後に九鬼紫郎に改名)が務めた。第1次『ぷろふいる』の後継誌ではあるものの、第1次『ぷろふいる』の出資者だった熊谷晃一(本名・熊谷市郎)は1983年に行われたインタビューで第2次『ぷろふいる』には関わっていないことを証言している。 九鬼澹のユーモア本格「豹介シリーズ」や、角田喜久雄と海野十三の共有ペンネームである青鷺幽鬼(あおさぎ ゆうき)名義の短編小説などが掲載された。新人では、をデビューさせている。 (ja)
  • 『ぷろふいる』(後に『仮面』に改題)は、1946年に刊行が開始された日本の探偵小説誌。 1933年から1937年まで刊行された第1次『ぷろふいる』の誌名を引き継ぎ、1946年7月に再刊第一号が刊行された。4か月に1冊ほどのペースで5冊刊行されたのち、1948年2月に『仮面』に改題し、以降はほぼ月刊のペースで7冊(本誌4冊、増刊3冊)刊行された。1948年8月の臨時増刊が最終号となった。なお、同時期を代表する探偵小説誌である『宝石』が創刊されたのは、第2次『ぷろふいる』刊行開始の3か月前の1946年4月である。 編集長は、第1次『ぷろふいる』の後期で編集に携わった九鬼澹(後に九鬼紫郎に改名)が務めた。第1次『ぷろふいる』の後継誌ではあるものの、第1次『ぷろふいる』の出資者だった熊谷晃一(本名・熊谷市郎)は1983年に行われたインタビューで第2次『ぷろふいる』には関わっていないことを証言している。 九鬼澹のユーモア本格「豹介シリーズ」や、角田喜久雄と海野十三の共有ペンネームである青鷺幽鬼(あおさぎ ゆうき)名義の短編小説などが掲載された。新人では、をデビューさせている。 (ja)
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  • 『ぷろふいる』(後に『仮面』に改題)は、1946年に刊行が開始された日本の探偵小説誌。 1933年から1937年まで刊行された第1次『ぷろふいる』の誌名を引き継ぎ、1946年7月に再刊第一号が刊行された。4か月に1冊ほどのペースで5冊刊行されたのち、1948年2月に『仮面』に改題し、以降はほぼ月刊のペースで7冊(本誌4冊、増刊3冊)刊行された。1948年8月の臨時増刊が最終号となった。なお、同時期を代表する探偵小説誌である『宝石』が創刊されたのは、第2次『ぷろふいる』刊行開始の3か月前の1946年4月である。 編集長は、第1次『ぷろふいる』の後期で編集に携わった九鬼澹(後に九鬼紫郎に改名)が務めた。第1次『ぷろふいる』の後継誌ではあるものの、第1次『ぷろふいる』の出資者だった熊谷晃一(本名・熊谷市郎)は1983年に行われたインタビューで第2次『ぷろふいる』には関わっていないことを証言している。 九鬼澹のユーモア本格「豹介シリーズ」や、角田喜久雄と海野十三の共有ペンネームである青鷺幽鬼(あおさぎ ゆうき)名義の短編小説などが掲載された。新人では、をデビューさせている。 (ja)
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