高松 豊吉(たかまつ とよきち、1852年10月23日(嘉永5年9月11日) - 1937年(昭和12年)9月27日)は、東京の浅草阿部川町出身の化学技術者、応用化学者、工学博士。1884年(明治14年)より東京大学教授を務め、1886年(明治16年)からは帝国大学の発足と共に東京帝国大学工科大学(現:東京大学)応用化学科の教授を日本人として初めて担当した。1888年(明治18年)工学博士修得。東京職工学校(後の東京工業大学)でも色染学について教鞭を執った。1903年(明治36年)に教授を退職。同年、実業家で東京瓦斯株式会社初代社長を務めていた渋沢栄一から懇請されて東京ガスの常務取締役を務め、1909年(明治42年)から1914年(大正3年)まで第二代東京ガス社長に就任した。同年1914年に東京ガス社長を退職し、この頃農商務省に設置された化学工業調査会の筆頭委員となって化学工業の育成に尽力した。1915年(大正4年)から1924年(大正13年)にかけては東京工業試験所の第二代所長を歴任した。その他、理化学研究所や学術研究会議(後の日本学術会議)の設置に貢献。工業化学会(現:日本化学会)、日本薬学会などの会長や役員を務め、技術史学者の山崎俊雄は豊吉を「日本の工業化学の元老」と評した。また、技術評論家である星野芳郎は豊吉の生涯を「日本の化学技術界の教育、行政の発展そのものと言って良いほどである」とも評した。1923年(大正12年)3月10日に学士院会員に選ばれた。
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