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  • 鎖国(さこく)とは、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。但し、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであり、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた。
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  • 鎖国(さこく)とは、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。但し、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであり、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた。
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  • 鎖国
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