鎌倉殿(かまくらどの)は、鎌倉幕府の長。また、そこから転じて鎌倉幕府そのものを指すこともある。源義朝以降は清和源氏(武家)の棟梁を鎌倉家、鎌倉殿と呼ぶようにもなった。「平家物語」では「鎌倉殿」とは頼朝を指し、歴史的には源頼朝と強く結びついた言葉である。「幕府」の語は江戸中期以降用いられたものであり、鎌倉時代の武士は鎌倉幕府を「鎌倉殿」と呼んでいた。また、室町幕府の長である足利将軍についても鎌倉幕府の継承者として捉えられ、当初は「鎌倉殿」「鎌倉将軍」の呼称が用いられていた。例えば、二条良基が著した『連歌十様』(高野山正智院本奥書)には、三代将軍足利義満を「鎌倉将軍」と呼称している部分がある。後に義満が京都室町に居宅を置くと、室町幕府将軍は「室町殿」と呼ばれるようになり、代わって室町殿の分家である鎌倉公方が「鎌倉殿」と呼ばれるようになった。近年では、鎌倉を頼朝の名字(称号)とする学者もいる。
This content in DBpedia Japanese is extracted from Wikipedia by DBpedia Community and is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.