足利 義長(あしかが よしなが、生年不詳 - 寿永2年閏10月1日(1183年11月17日))は平安時代末期の武将。足利義康の子。上西門院蔵人。名は義良とも。父から継承した下野国足利荘に拠った異母弟の義兼とは異なり、義長は同母兄の義清とともに京において活動、上西門院に仕えた。その後義清とともに源義仲の麾下に参加。寿永2年の水島の戦いにおいても義仲軍の総大将を務める義清に従い出陣し、平家軍と対峙する。しかし船戦を得意とする平家方の前に義仲軍は大敗を喫し、義清や海野幸広らとともに、義長も壮絶な戦死を遂げた。
This content in DBpedia Japanese is extracted from Wikipedia by DBpedia Community and is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.