薬丸 兼陳(やくまる けんちん/かねのぶ、慶長12年(1607年) - 元禄2年8月5日(1689年9月18日))は、江戸時代前期の薩摩藩士。剣客。通称ははじめ大炊兵衛、後に刑部左衛門。諱は兼陳、兼速。隠居して如水と号した。島津家中の武辺の士として知られた薬丸壱岐守の孫で薬丸兼利の子。息子は薬丸兼福。示現流の達人として東郷重位の五高弟の一人に数えられた。後に子孫の薬丸兼武によって薬丸自顕流の流祖とされたが彼自身が新流派を組織した事実はない。
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