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  • 薛祥(せっしょう、? - 1381年)は、明初期の重臣。字は彦祥(げんしょう)。無為(安徽省無為県)の出身。早くから朱元璋に仕え、数々の武功を挙げた。朱元璋の寵臣として重用され、1375年に工部尚書に任命された。朱元璋とは厚い信頼関係にあり、それを物語るエピソードがある。工部尚書のとき、鳳陽皇陵の造営工事が行なわれていたが、このとき大工が謀反を企てていると讒訴する者があった。朱元璋は大工や責任者の薛祥を殺そうとしたが、薛祥は堂々と朱元璋に弁明した。このため朱元璋が再度調査すると讒訴とわかり、薛祥や大工は無罪とされて讒言者が死刑にされた。また、丞相の胡惟庸に疎まれて工部尚書から嘉興知府に左遷されたことがあった。その後、胡惟庸は1380年に粛清(胡惟庸の獄)されて薛祥は復帰を許されたが、このとき朱元璋が「胡惟庸がお前に罪を着せて左遷したのだ。なぜ、朕にそれを説明しなかった」と訊ねると「陛下なら、いずれお分かりになると思っていたからです」と答えたという。そこまで厚い信頼関係に結ばれていた2人であったが、1381年に事件が起こった。朱元璋はその昔、乞食坊主だったことから「光」や「禿」の文字が嫌いで使うことを禁忌としていた。ところが朱元璋が工部についての日常事務を調査した際、これらの文字が使われていた。また半年間に1万9000件もの公文書を出して事務を煩雑化させていた。これが朱元璋の逆鱗に触れ、薛祥は杖殺(杖で殴り殺す刑)された(文字の獄)。
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  • 薛祥(せっしょう、? - 1381年)は、明初期の重臣。字は彦祥(げんしょう)。無為(安徽省無為県)の出身。早くから朱元璋に仕え、数々の武功を挙げた。朱元璋の寵臣として重用され、1375年に工部尚書に任命された。朱元璋とは厚い信頼関係にあり、それを物語るエピソードがある。工部尚書のとき、鳳陽皇陵の造営工事が行なわれていたが、このとき大工が謀反を企てていると讒訴する者があった。朱元璋は大工や責任者の薛祥を殺そうとしたが、薛祥は堂々と朱元璋に弁明した。このため朱元璋が再度調査すると讒訴とわかり、薛祥や大工は無罪とされて讒言者が死刑にされた。また、丞相の胡惟庸に疎まれて工部尚書から嘉興知府に左遷されたことがあった。その後、胡惟庸は1380年に粛清(胡惟庸の獄)されて薛祥は復帰を許されたが、このとき朱元璋が「胡惟庸がお前に罪を着せて左遷したのだ。なぜ、朕にそれを説明しなかった」と訊ねると「陛下なら、いずれお分かりになると思っていたからです」と答えたという。そこまで厚い信頼関係に結ばれていた2人であったが、1381年に事件が起こった。朱元璋はその昔、乞食坊主だったことから「光」や「禿」の文字が嫌いで使うことを禁忌としていた。ところが朱元璋が工部についての日常事務を調査した際、これらの文字が使われていた。また半年間に1万9000件もの公文書を出して事務を煩雑化させていた。これが朱元璋の逆鱗に触れ、薛祥は杖殺(杖で殴り殺す刑)された(文字の獄)。
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  • 薛祥
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