良成親王(よしなりしんのう/ながなり ―)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての南朝の皇族。近世の南朝系図によると、後村上天皇の第七皇子で、母は越智家栄の女・冷泉局(新待賢門院冷泉)とされるが、同時代史料には名が見えないため、親王の実在自体を疑う説は少なくない。だが、征西将軍懐良親王(後醍醐天皇皇子)の跡を継承して九州南軍を指揮した後征西将軍宮(のちのせいせいしょうぐんのみや)とは、良成親王に比定されるのが旧来の通説であり、他に有力な異説も見当たらないため(後述)、本項では後征西将軍宮の事績を親王のそれとして記述する。
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